ネヴァー・トゥー・レイト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/26 22:19 UTC 版)
「ネヴァー・トゥー・レイト」 | ||||||||
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カイリー・ミノーグ の シングル | ||||||||
初出アルバム『エンジョイ・ユアセルフ』 | ||||||||
リリース | ||||||||
規格 | シングル、レコード、カセット・シングル | |||||||
録音 | 1989年 | |||||||
ジャンル | ダンス・ポップ、フリースタイル | |||||||
時間 | ||||||||
レーベル | PWL、Mushroom Records | |||||||
作詞・作曲 | ストック・エイトキン・ウォーターマン | |||||||
プロデュース | ストック・エイトキン・ウォーターマン | |||||||
カイリー・ミノーグ シングル 年表 | ||||||||
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「ネヴァー・トゥー・レイト」 (Never Too Late) は、オーストラリアのシンガーソングライターのカイリー・ミノーグの楽曲である。
2ndアルバム『エンジョイ・ユアセルフ』からの第三弾シングルとしてカットされたこの曲はイギリスで4位まで上昇するヒットを記録、アイルランドでは1位にまで昇り詰めている。ピート・コーニッシュによって監督されたミュージック・ビデオは1920年代から1970年代までの時代を反映した衣装を着た様々なカイリーが登場する。
2012年にはアビイ・ロード・スタジオでオーケストラとともに再録音したヴァージョンがセルフカバー・アルバム『女神(アフロディーテ)のすべて 〜アビイ・ロード・セッションズ〜』に収録された。
トラック・リスト
- CDシングル
- "Never Too Late" – 3:21
- "Never Too Late" (Extended) – 6:11
- "Kylie's Smiley Mix" (Extended) – 6:17
- 7"シングル
- "Never Too Late" – 3:21
- "Kylie's Smiley Mix" (7" version) – 3:59
- 12"シングル
- "Never Too Late" (Extended) – 6:11
- "Kylie's Smiley Mix" (Extended) – 6:17
- オーストラリア 7"シングル
- "Never Too Late" – 3:21
- "Made in Heaven" (Heaven Scent Mix) – 4:43
- オーストラリア 12"シングル/カセットシングル
- "Never Too Late" (Extended) – 6:11
- "Made in Heaven" (Heaven Scent Mix) – 4:43
チャート成績
チャート(1989年) | 最高順位 |
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イギリス(全英シングルチャート)[1] | 4 |
参考文献
- ^ “Kylie Minogue|full Official Chart History”. Official Charts. 2023年1月13日閲覧。
ネヴァートゥーレイト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:18 UTC 版)
「ネヴァーセイダイ」の記事における「ネヴァートゥーレイト」の解説
ネヴァートゥーレイト(Never Too Late)はネヴァーセイダイの2世代目の産駒で、1000ギニー、オークスに勝った。 Never Too Late 血統 ネヴァーセイダイ系 性 牝 ネヴァーセイダイ1951 栗毛 イギリス Nasrullah Nearco 毛色 栗毛 Mumtaz Begum 生年 1957 Singing Grass War Admiral 生産地 アメリカ Boreale 生産者 ブルラン牧場 Gloria Nicky1952 栗毛 イギリス Alycidon Donatello 馬主 ハウエル・ジャクスン夫人 Aurora 調教師 エチエンヌ・ポレ Weighbridge Portlaw 成績等 9戦5勝 Golden Way F-No.4-c ネヴァートゥーレイトはアメリカで生まれ、フランス人調教師に預けられた。2歳の時はフランスでサラマンドル賞に勝ち、タイムフォーム誌によるフリーハンデで全欧2歳牝馬チャンピオンになった。3歳になるとイギリスへ渡り、1000ギニーとオークスに勝った。 ネヴァートゥーレイトは小柄な栗毛馬で、ハウエル・ジャクソン夫妻がブルラン牧場(Bull Run Stud)で生産した。母馬のグロリアニッキー(Gloria Nicky)は1954年にイギリスでチェヴァリーパークステークスに勝って2歳牝馬チャンピオンになっている。近親にはセントレジャーステークス優勝の*リボッコと*リブロがいる。ネヴァートゥーレイトはグロリアニッキーの初仔で、まだ妊娠中の1956年に3万ポンドでジャクソン夫人がグロリアニッキーを買ってきたのだった。 ネヴァートゥーレイトはフランスへ送られたが、同名馬が既にいたので、ネヴァートゥーレイト2(Never Too Late II)として扱われた。エチエンヌ・ポレ調教師のもとで1959年8月にデビューし、9月にサラマンドル賞で*ファラモンド(Pharamond)を破って優勝した。続くグランクリテリウムではアンガース(Angers)にクビ差敗れて2着になった。タイムフォーム誌によるフリーハンデで、ネヴァートゥーレイトは130ポイントの評価を得て全欧2歳牝馬の首位になった。 3歳になると、アンプルダンス賞を4馬身差で勝ち、1000ギニーを目指して渡英した。ネヴァートゥーレイトは13頭中約1.7倍の本命になり、ゴール前200メートルのあたりで先頭に立つと、あとは2馬身差をつけて楽勝した。翌月のオークスでも2.2倍の本命になったが、ゴール前の混戦で物議を醸す結果になった。ネヴァートゥーレイトは後方から進み、最後の直線でスパートしようと外へなんとか持ちだし、先頭のペンポン(Paimpont)に追いすがった。並んだところで、ネヴァートゥーレイトは左へモタれてしまい、後ろから来たアンベルリン(Imberline)の進路を塞ぐ形になった。立て直したネヴァートゥーレイトはなんとかペンポンをアタマ差捉えて優勝した。ペンポンが2着、アンベルリンは3着だった。レース後、ネヴァートゥーレイトの騎手は、レース中に何度もイギリス人騎手が故意に進路を妨害してきたと申し立て、ポレ調教師も進路妨害がなければ6馬身差で勝っていたはずだと述べた。 秋はフランスでヴェルメイユ賞に出たが、柔らかい馬場が合わずに着外に終わり、イギリスのチャンピオンステークスで2着になったのを最後に引退した。この年のタイムフォームによるネヴァートゥーレイトの評価は128ポイントである。 ネヴァートゥーレイトはアメリカに戻って繁殖牝馬になった。産駒のなかで最良のものはウィザウトフィア(Without Fear、父*ボールドリック)で、ヘロド賞に勝ち、オーストラリアでチャンピオンサイアーになった。ほかにも、ネヴァートゥーレイトの子孫からはオーストラリアのVRCオークスの優勝馬が出ている。
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