ネヴァーセイダイ系のブームとその終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:18 UTC 版)
「ネヴァーセイダイ」の記事における「ネヴァーセイダイ系のブームとその終焉」の解説
ネヴァーセイダイ自身は種牡馬として大成功をおさめたが、ラークスパーを筆頭に、優れた産駒のなかなら良績をあげる種牡馬が現れなかった。一方、ネヴァーセイダイの子で競走馬としては中級・下級クラスだったものは諸外国へ売られていったが、これらの中からは売却先で成功するものが出た。 なかでも日本では、1960年代にネヴァービートが種牡馬として成功を収めたのをきっかけに「ネヴァーセイダイ系」のブームが起こり、多くの産駒が種牡馬として輸入され、1980年代には日本で最も人気のある系統になった。この間、日本へ輸入されたネヴァーセイダイの子は16頭に及んだが、1頭の種牡馬の産駒にこれほど人気が集中したのは日本でも初めての事だった。こうして、ネヴァーセイダイの系統はイギリスでは1980年代には滅亡寸前まで衰えたが、日本ではしばらく繁栄した。だが日本でも、この系統から出た最良の競走馬だったテンポイントが競走中の怪我がもとで死亡してしまい、1980年代の後半にはネヴァーセイダイ直仔の種牡馬の成績は峠を越え、孫の代からこれといって有力な後継種牡馬が出なかった。2000年代には、牝系に残ってはいるものの父系としての本馬の系統はほぼ途絶えた状態となっている。
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