ネヴァーセイダイのダービー優勝と現代音楽史への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:18 UTC 版)
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リヴァプール在住のモナ・ベストという女性は、ネヴァーセイダイの生まれの逸話とその名前をとても気に入り、持っていた宝石類を全部売り払った金で、ダービーのネヴァーセイダイの馬券を買った。ネヴァーセイダイが大穴で優勝したことで、モナは巨額の払い戻し金を手にした。モナはその金でリヴァプール郊外に大きな屋敷を購入し、修復した。この屋敷には広い地下室があり、モナは地下室をリフォームして、知人が集まってコーヒーを飲む部屋にした。 そのうち、モナの息子がこの地下室に学校の同級生を集め、大音響で音楽を聞くようになった。彼らはリトル・リチャードやチャック・ベリーといった、アメリカのロックンロールを好んだ。地下室から漏れる音を聞きつけて、近所の子供達がどんどん集まるようになり、そのうち1000人を超すようになった。そこでモナは、彼らから12ペンス半の入場料を取ることにした。集まった子どもたちの多くは近所のクオリー・バンク中学校の生徒で、学生の中にはクオリーメンというバンドを組んでいる者もいた。 このクオリーメンに、モナの息子ピート・ベストが加わって誕生したのがビートルズである。初期のビートルズは、モナの地下室に造られた「カスバー・コーヒークラブ」を根城に活動した。ピートは『Never Say Die』のまえがきの中で、ネヴァーセイダイがダービーに勝ったからビートルズが世に出た、と述懐している。
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