ウィザウトフィア
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ウィザウトフィア(Without Fear) 4戦2勝 主な勝ち鞍/ヘロド賞 オーストラリアの新種牡馬チャンピオン。 ウィザウトフィア Without Fearの血統出典 (血統表の出典) 父 *ボールドリック黒鹿毛 1961 父の父 Round Table鹿毛 1954 Princequillo1940 鹿毛 Prince Rose Cosquilla Knight's Daughter1941 黒鹿毛 Sir Cosmo Feola 父の母 Two Cities鹿毛 1948 Johnstown1936 鹿毛 Jamestown La France Vienna1941 黒鹿毛 Menow Valse 母 Never Too Late栗毛 1957 母の父 Never Say Die栗毛 1951 Nasrullah Nearco Mumtaz Begum Singing Grass War Admiral Boreale 母の母 Gloria Nicky栗毛 1952 Alycidon Donatello Aurora Weighbridge Portlaw Golden Way ウィザウトフィア(Without Fear)はボールドリックの初年度産駒で、母はハウエル・ジャクソン夫妻の所有馬だったネヴァートゥーレイトである。両親ともにアメリカ産馬であるが、父も母もイギリスのクラシック競走の優勝馬であり、血統的にはいかにも伝統的なイギリスなクラシック血統だった。 ウィザウトフィアは2歳戦で早々と活躍し、サンファルマン賞(Prix de Saint-Firmin、1000メートル)を勝ち、続くヘロド賞(Prix Herod、1000メートル)は5馬身差で勝った。2歳時2戦2勝のウィザウトフフィアはフランスの2歳ランキングで59kgの評価を受け、世代2番手の高評価を得た。また、ウィザウトフィアの活躍で新種牡馬ボールドリックは2歳種牡馬タンキング上位につけ、初年度から成功種牡馬と評されるようになった。 翌年のイギリス2000ギニーの有力候補とみなされていたが、馬運車で輸送中に転倒し、背中を痛めてしまった。それ以降、実力を発揮できず、早々と引退し、オーストラリアへ売られていった。 ウィザウトフィアが真価を発揮したのは、オーストラリアで種牡馬になってからである。ウィザウトフィアは一口4500ドル、50口の安価な種牡馬だったが、産駒がデビューすると、1年目のシーズンに30頭が49勝をあげ、文句なしの新種牡馬チャンピオン・2歳種牡馬チャンピオンになった。新種牡馬の産駒が1年目に49勝というのは世界記録で、ほかにオーストラリア国内の様々な記録を6つ更新した。ウィザウトフィアの価値は1年で500万ドルに跳ね上がり、8シーズンほどで産駒の勝馬は220頭、勝利回数は800を超えた。 主な産駒には、デザイヤブル(Desirable、1975/76シーズン2歳チャンピオン)、アンナウェア(Unaware、VRCダービー)、アウトワードバウンド(Outward Bound、VRCサイヤーズプロデュースS)、ブレイヴショウ(Brave Show、VRCサイヤーズプロデュースS)など。 わずか4500ドルの種付料で生産された牝馬が数万ドルで売買されるようになり、瞬く間にボールドリックはオーストラリアで大人気の血統になり、次々と産駒がオーストラリアやニュージーランドへ売られていった。その中には、祖母にネヴァートゥーレイトをもつヘッドオーバーヒールズ(Head Over Heels)・テイクアリスク(Takearisk)の全兄弟もいる。両馬の母フォールインラブ(Fall in Love)はネヴァートゥーレイトの娘であり、ウィザウトフィアからみれば半姉にあたる。フォールインラブは1964年のフランスの2歳牝馬チャンピオンになった牝馬で、父ボールドリック・母フォールインラブという血統は、ウィザウトフィアとは3/4が共通の血統ということになる。ヘッドオーバーヒールズはオーストラリアで新種牡馬チャンピオンになり、テイクアリスクも1勝馬ながらニュージーランドで種牡馬になった。
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