ネオヒューマニズムの哲学と人類社会論
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「進歩的活用理論」の記事における「ネオヒューマニズムの哲学と人類社会論」の解説
サーカーは、人間の理想のあり方としてヒューマニズムの理念が普及しているにもかかわらず、現実にはすべての階級、階層の人々に公平な扱いがなされてこなったと述べる。そして人類愛と生命の尊重を建前としているけれども実際には、心の内側は自国中心主義であり、人間以外の生命を軽視する思想となっていて、そのヒューマニズムはゆがめられていると指摘する。 サーカーは、このようなゆがめられたヒューマニズムをエセ・ヒューマニズムと呼ぶ。そして本来のヒューマニズムの理念を継承し、それを極限まで拡大するネオ・ヒューマニズムを提起し、人類は、このネオ・ヒューマニズムの道を進むべきだと主張する。サーカーの提起するネオ・ヒューマニズムは、現在のヒューマニズムの限界を乗り越え、人類を新たな知的心理的地平に導くものである。 サーカーは「あたらしい光のもとでヒューマニズムを再解釈しよう」と次のようにいう。「ある人々が前進を開始した時、彼らは、自分たちのことをより考え、他の人々のことはあまり考えませんでした。ましてや動物や植物のことは考えませんでした。しかし、もし、私たちが冷静な頭で分析するならば、私の命が、私にとって大切であるように、他のものの命も、彼らにとっては同じように大切です。そして、もし、私たちがすべての生き物の命にふさわしい価値を与えないならば、その時、完全なヒューマニティ(人間性)の発達は不可能になります。もし、人々が自分個人のことについて、あるいは自分の小さな家族、自分のカースト、自分の氏族や部族についてより多く考え、集合体についてまったく考えないならば、それは明らかに有害です。同様に、もし、人々が、生命世界全体( 植物世界、動物世界) を軽視するならば、それは本当に有害ことではないでしょうか。私が、新しい光のもとでヒューマニティとヒューマニズムを解釈する必要があると言っているのはこういう理由からです。そしてこれの新しく解釈されたヒューマニズムは、この世界の貴重な宝となるでしょう」NEO-HUMANISM IS THE ULTIMATE SHELTER ネオ・ヒューマニズムはユニヴァーサリズム(普遍主義)ともいう。ありとあらゆる存在への愛、ありとあらゆる存在と根源において一(oneness)であることの意識化、論理と理性によってあらゆるドグマやイズムから自らの知性を解放し、心を無限の広がりの中に確立することを目指す。一(oneness){ワンネス}であるというのは「万物の根源の一から分かれ無限の多が生まれた」という考えで、人類最古の哲学であるウパニシャッド哲学に発している。サーカーの哲学では、大宇宙の根源にある意識すなわち精妙なる極小の存在が粗大化してこの物質世界のありとあらゆるものとして展開している。言い換えれば、精妙なる極小の存在が全宇宙の心であり、ありとあらゆるものが同一の全宇宙の心の顕現である。したがって、全宇宙の心に一体化した心からこの天地万物をみる時、あらゆるものは同じように大切であり、尊重されるべき存在となるのである。 また、サーカーはこのような哲学による人類の統一を目指しつつも、人類社会には決して一方が他方に押し付けてはならない正当に考慮されるべき相違があることも述べ、宗教的や文化的な違いなどからくる、食物(イスラム教徒の豚肉が食べられない等)、服装(イスラム教徒やアラブ女性の体を覆う服装等)、言語などを挙げている。
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