なすの
なす‐の【那須野】
那須野
ナスノ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 08:29 UTC 版)
1924年(大正13年)生まれの牡馬。出走前の血統名を電光と言った。母は常夏。祖母は帝室御賞典に勝ったオーストラリア産のブルーボンネット。サラ系である。1927年(昭和2年)に初出走以来、連戦連勝の快進撃で帝室御賞典、連合二哩、濠抽混合と当時の三大競走を制覇し、横浜のオールカマーハンデも制した。優勝戦に勝つこと6回。1930年(昭和5年)春に、アスコットゴールドカップをモデルに新設された中山四千米では、同年生まれの名競走馬ハクシヨウと対決し、2万人の観衆が集まった。マッチレースは先行したハクシヨウが逃げ切り、ナスノはこの競走を最後に引退した。競走成績は24戦17勝2着5回で、2度の着外はオーストラリア産馬ファンタスティックが勝った濠抽混合と、72キログラムのハンデを負ったオールカマーである。獲得賞金は64689円50銭。引退後は農林省に10000円で買い上げられ、日高種馬牧場で種牡馬となった。種牡馬としてはサラ系が災いして産駒に恵まれず、1942年9月に転売不明となった 。ワカクサの母の父である。
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