いまい‐けいしょう〔いまゐ‐〕【今井慶松】
今井慶松
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今井 慶松(いまい けいしょう、1871年5月14日(明治4年3月25日) - 1947年(昭和22年)7月21日)は、日本の箏曲家、帝国芸術院会員。箏曲家の中能島慶子は娘。
生涯
相模国(現神奈川県)出身。本名は新太郎。4歳で失明。山田流箏曲の3代山勢松韻に師事。1902年東京音楽学校(現東京芸術大学)教授。1940年日本三曲協会初代会長。1942年芸術院会員。「新晒」などの演奏で知られる。作品に「四季の調」など。
昭和22年7月21日没。戒名は慶松院殿浄楽日新大居士。墓所は横浜の妙香寺。
著書など
- 箏曲桜花の賑ひ(編)東京音楽書院 1911.8
- 松の吹き寄せ 芸談随筆 岡倉書房 1935
- 今井慶松芸談 附・伝記と作曲集 藤田俊一編著 日本音楽社 1959
参考文献
- 日本人名大事典[要文献特定詳細情報]
今井慶松と同じ種類の言葉
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