ナガナ
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「デヴィッド・ブルース」の記事における「ナガナ」の解説
マルタ在任時の副総督だったWalter Hely-Hutchinsonがナタール・ズールーランド(現南アフリカ共和国クワズール・ナタール州)の総督となり、その依頼によって1894年冬に家畜の熱病ナガナの病原体を探すためにズールーランド北部のUbomboへ派遣された。ナガナはズールー人の生活の糧である家畜を殺す病気である。 当時ヨーロッパ人はツェツェバエが毒を持っていると考え、一方ズールー人は野生動物から何かが移ると考えていた。ブルースが出発前にピーターマリッツバーグで書いたノートには、ツェツェバエから水やアルコールで抽出したものを動物に注射する実験の構想があり、ツェツェバエの持つ「毒」を探そうとしていたことがうかがえる。Ubomboはレボンボ山脈の標高600mほどの頂にある隔絶された集落であったが、麓とちがってツェツェバエがおらずナガナ病もないため研究のためには適した場所だった。ピーターマリッツバーグからは牛車で数週間の長旅だったが、ブルースは到着後ただちに研究をはじめ、すぐに罹患動物の血液から「住血動物」(Haematozoa)を見出している。さらに連れてきたイヌを麓でツェツェバエに刺させると、そのイヌは山へ戻るとすぐに発病し血液には多数の「住血動物」がいた。 ところがここでナタールへと呼び戻されるという不幸が襲いかかる。一行の荷物を運ぶのはロバと1台の荷車だけで、ブルース夫妻は途中まで徒歩で旅をする羽目になる。日照りが酷く、ロバはたまに見付かる沼地の水で辛うじて死を免れるという状況だった。しかもようやくピーターマリッツバーグへ到着すると、たいした理由もなく呼び戻されたことが判明したのである。総督が陸軍省と交渉している間はウシのredwater fever(バベシア症)の研究をし、ようやく1895年9月に今度は騎乗で1週間ほどの旅をしてUbomboへ戻ることができた。 この7ヶ月におよぶ中断の後、ツェツェバエやナガナについて詳しく記録し、ツェツェバエ生息地の池の水や、ツェツェバエの成虫や幼虫をすりつぶしたもの、糞や吻などをイヌに注射する実験をして、病原体がトリパノソーマの一種であることを示している。1896年にはトリパノソーマに感染したイヌをイギリスに送り、これをPlimmerとBradfordが研究してブルースにちなんでTrypanosoma bruciiと命名した。ただこの種小名は綴りが間違っており、Trypanosoma bruceiと綴るのが正しい。 さらにツェツェバエがいないUbomboの頂上で育てた健康なウマを、麓のツェツェバエに刺させることで、ツェツェバエによる媒介を示した。惜しむらくは、吸血したあとツェツェバエの体内で原虫がどうなるのかを調べたのだが、5日間しか観察を続けなかったために12年後Kleineが発見することになる生活環を見逃してしまったことである。ともかく、ブルースはナガナがトリパノソーマによって引き起こされること、その病原体がツェツェバエによって媒介されること、野生の反芻動物が保虫宿主であること、を確立したのである。この地を去る1897年7月30日までというわずか3年に満たない期間に、彼はアフリカトリパノソーマ症に関するその後の研究の礎を築き上げたのである。 ナタールへ戻ったブルースは、続いてボーア戦争への従軍を命ぜられる。腸チフスに関する研究を行っているほか、レディスミス包囲の際に野営地で30時間におよぶ手術を行ったというエピソードがある。ブルース夫人も看護婦として活躍し、赤十字勲章(RRC)を受けている。
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