ドラッグ、酒および喫煙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 09:33 UTC 版)
「アメリカ合衆国の社会」の記事における「ドラッグ、酒および喫煙」の解説
アメリカ人のドラッグやアルコール飲料に対する態度はこの国の歴史を通じて著しく変遷してきた。19世紀にアルコールが手に入りやすくなって消費され、その他のドラッグ使用を規制する法律も無かった。禁酒運動と呼ばれるアルコール飲料を禁止する運動が19世紀後半に起こった。アメリカのプロテスタントに分類される幾つかの会派と女性クリスチャン禁酒同盟のような婦人団体がこの運動を支えた。1919年、アメリカ合衆国憲法修正第18条が成立しアルコールの販売が禁じられた。この禁酒法時代に全体としてアルコールの消費量は抑えられたが、以前は合法だった蒸留酒産業がアルコールを密売する犯罪組織に置き換えられただけだったので、アルコールを徹底的に禁じることは機能しないことが分かった。1931年にはアメリカ合衆国憲法修正第22条によって禁酒法は撤廃された。州や地方によっては「ドライ」(禁酒)を強制する権利を保持しており、今日でも一握りの郡部はドライのままである。 ベトナム戦争の時代には禁酒とはほど遠い方向に振れた。18歳という年齢で徴兵され戦争に駆り出されたが、まだビールを買うことができなかった。1970年から1975年にかけて50州のうち28州が法定飲酒年齢を18歳に引き下げた。引き下げ後まもなくして、若者をターゲットとしたユース・バーが流行し、飲酒施設を利用する年齢層が若年化する現象が起きた。その後、多くの州が法定飲酒年齢を21歳に戻したが、その影響は残り続けている。 1980年以降のトレンドはアルコールとドラッグを大きく規制する方向に向かった。しかしこの時代の焦点は、徹底的にアルコールの消費を禁じようとするよりも、アルコールに起因する犯罪行為だった。ニューヨーク州は1980年に飲酒運転を厳しく取り締まる法を制定した最初の州になった。この時以来他の全ての州がそれに倣った。「ジャスト・セイ・ノー・トゥ・ドラッグズ」運動が1960年代のより放縦な精神に置き換わった。 公衆の場での飲酒を戒める風潮・施策によって、アメリカ社会での飲酒は家飲みが主流となっている。第二次世界大戦終結後から20世紀末にかけてアメリカ全体で消費される酒類のうち、レストランや飲酒施設で消費される割合は90パーセントから30パーセントに落ち込み、飲酒施設の数も40パーセント減少している。しかし、アメリカ人一人当たりの酒の消費率にほとんど変化は無く、飲酒は他の薬物と同様に、公衆から隠れて楽しむプライベートな習慣となりつつある。
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