データ入力・インクワイアリィ(情報検索)用ディスプレイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 23:57 UTC 版)
「ディスプレイ (コンピュータ)」の記事における「データ入力・インクワイアリィ(情報検索)用ディスプレイ」の解説
初期のコンピューターシステムでは、データやコマンドをパンチ・カードや紙テープを作成してリーダで読み込んで入力し、コンピュータで処理した結果の出力はラインプリンタで印字していた。訓練されたオペレータが大量の伝票を入力していたが、入力データの確認や修正が簡単で容易であることが、処理結果の出力についてはスピードと不要な用紙の削減が要望され、ディスプレイが使用されるようになった。 1973年に開発したディスプレイ・サブシステムF9520は電話回線および専用線経由でコンピュータに接続し、遠隔地からの入出力を可能にした。回線との通信を制御するコントローラ1台に対して最大32台のディスプレイやプリンタを接続した。表示部にはモノクロとカラーの2種があり、モノクロームは表示面をマット処理(磨りガラス状)したグリーン色17インチCRTを使用、天井灯等の反射光軽減を計り、1920文字(80字×24行)のアルファベットと仮名文字を、カラーは12インチで7色のカラーで表示する。文字発生は半導体ROMを使用し7×9ドット文字を採用した。リフレッシュメモリにはMOSメモリを使用し、マイクロプログラム方式を採用、簡易プロセッサーとシンプルなマシーン語で記述した簡易モニター(プログラム全体を管理するプログラム)を含むプログラムで構成する制御回路を独自に設計した。KBにはタイプライタ配列のキーの右側にテンキーや10数個のファンクションキーを配列してデータ入力の容易化を図った。テンキーの配列には電卓型と電話型があったが約30人に試行してもらって電卓型とした。総生産台数は8000台に達した。 1970年代はIBMのコンピュータ360シリーズ、さらに後継の370シリーズが好評で全世界を席巻していた。多くの業務用アプリケーションプログラムはIBMコンピュータの仕様で設計されていたので、このプログラムを利用するために日本のコンピューターメーカー各社は協同してIBM仕様をカバーするコンピュータ・システム(IBM互換機)を開発した。コンピュータ本体だけではなく周辺機器の仕様を合わせることが必要でIBMのディスプレイ3270の公開された仕様をもとに、1976年にディスプレイ・サブシステムF9525を開発した。表示部モノクロは17インチ、カラーは16インチを使用、制御回路には市販のモトローラ社製8ビットMPU(マイクロプロセッサ)を使用した。 ディスプレイ・サブシステムF9525の後継機として、1979年に省電力、省スペース、ローコスト化と機能強化を計ったF9526を開発した。表示部にはモノクロとカラーCRTに加えてネオンオレンジ色15インチPDP(プラズマディスプレイ)を追加し、HDLC回線への接続や、自己診断、トレース、折り返しテスト等のRAS機能(可用性)を充実した。市場のニーズは大きく、年間10,000台を超える生産をした(PDPの総生産数は100台弱)。
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