デイヴ・シュルツの殺害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/20 03:22 UTC 版)
「ジョン・デュポン」の記事における「デイヴ・シュルツの殺害」の解説
1996年1月26日、デュポンはデイヴ・シュルツを射殺した。自身の800エーカーの私有地内にあったシュルツ家の私道においてである。シュルツの妻であるナンシーとデュポン警護の責任者であったパトリック・グッデールがその場におり、現場を目撃していた。デュポンがシュルツに3発の銃弾を撃ち込むのを、グッデールはデュポンの車の助手席から見た。警察は殺害の動機を見出すことが出来なかった。シュルツは長らくデュポンのレスリングチームのコーチを務めており、デュポンがアルコール中毒を克服する手助けすらしていたのである。 デュポンの友人たちは彼の発砲を信じられないと言った。カリフォルニア州から来た三種競技選手のジョイ・ハンセン・ロイトナーは、デュポンのトレーニング施設で2年を過ごしており、デュポンが彼女を辛い状況から救い出してくれたことを語った。「家族や友人とともに、ジョンは私に人生の新しい期間を与えてくれたのです。彼は金銭的援助のみならず、心に寄り添ってくれたのです」。彼女は殺人を信じられないと言った。「ジョンが正気だったなら、デイヴを殺すなんてことはできないはずです」。ニュートン郡政執行者であるジョン・S・カスター・ジュニアは、「殺害のその瞬間、ジョンは自分が何をしているのか分かっていなかった(のだろう)」と語っている。デュポン家の管理人を30年勤めたチャールズ・キング・シニアとその息子も、デュポンのことをよく知っている(からそんな事を彼がするなんて考えられない)と言った。 しかし多くの人々が、事件が起こる数か月前からデュポンの行動が次第に破たんしつつあると気づいていた。チャールズ・キング・シニアはデュポンの「警備顧問」であるパトリック・グッデールが事件に影響を与えたと非難している。「ジョンが誰かを撃つなんて考えられません。誰かにそそのかされたり、ドラッグでもやっていなければ。うちの息子も、あいつがうろつき始めてからジョンは変わってしまった、と言っていました。何に対しても恐れるようになったのです。正気を失ってしまったのです。そんな彼でさえ、私も息子も受け入れることが出来たのに」。 発砲ののちデュポンは彼の邸宅に二日間閉じこもり、警察は電話で説得を続けた。暖房装置を直すために戸外へ出てきた彼を警察は逮捕した。1996年9月、専門家はデュポンが精神病であり自身の弁護に参加できないと診断し、公判に耐えうることが出来ないと判断された。彼は精神病院に入院させられ、裁判所が3か月以内に彼の状態を確認することとなった。 公判のさなか、精神科の専門家である証人はデュポンを強迫観念症的な統合失調症であるとし、シュルツのことをデュポンを殺そうとしている国際的な陰謀団の一味であると錯覚していたのだと証言した。デュポンは家に押し入られて殺されると信じこんでいたため、家じゅうに様々な防犯設備を取り付けていたという。 デュポンは「心神喪失による無罪」を主張した。この主張は裁判において却下され、1997年2月27日に陪審によって第三級謀殺(Third-degree murder、故意はあるが計画性のない殺人)の有罪であるが同時に精神疾患を患っていると評決された。ペンシルベニア州における第三級謀殺は、第一級謀殺(計画的に故意に殺害)や第二級謀殺(重い犯罪行為の実行時に意図的でなく殺害)よりも量刑が軽い。ペンシルベニア州の刑法では、「心神喪失」は「病気や障害」により自らの行動が誤っていることが分からない、または法律に従うことを理解できない者に当てはめられる。(つまりデュポンはこのケースに当てはまらないとされた) 陪審の「有罪であるが精神疾患を患っている」という評決は、判決が裁判長であるパトリシア・ジェンキンスに差し戻されることを意味していた。5年から40年の実刑判決が選択できるなかで、ジェンキンスはデュポンに13年から30年の収監を宣告し、ペンシルベニア州で最も警備が緩いマーサー刑務所に収監が決まった。 陪審による評決後、デイヴの未亡人であるナンシー・シュルツは夫の不当な死についてデュポンに訴訟を起こした。和解内容は明らかになっていない。フィラデルフィア・インクワイアー紙は匿名の情報源を引いて、デュポンがシュルツ夫人に少なくとも3500万ドルを支払ったであろうと報じた。 デュポンの代理人は上訴し、2000年には最高裁で争われることとなったが評決は支持され、覆ることはなかった。2009年1月29日には最初の仮釈放が申請されたが受理されなかった。刑期を最も長く務めるとすれば、デュポンが87歳になる2026年まで収監されるはずであった。 2010年に合衆国控訴裁判所は控訴を退けたが、デュポンが事件前にブルガリア人の処方でスコポラミンを服用していた事実などを新たに認めた。
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