タンジマートの結果と後世への影響とは? わかりやすく解説

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タンジマートの結果と後世への影響

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 01:30 UTC 版)

タンジマート」の記事における「タンジマートの結果と後世への影響」の解説

1877年露土戦争敗北によってギリシャ以外のバルカン半島諸国独立し帝国勢力圏はさらにせばめられてバルカンごく一部アナトリアアラブ地域だけとなったまた、タンジマートの諸改革は、財政的には、帝国対外債務累積拍車をかける結果となったタンジマート始動させた頃、スルタンアブデュルメジト1世は、帝都イスタンブル郊外150もの官営工場をつくり、没落したギルド会社経営協同組合として組織化するよう努力し相応成果をあげたものの、莫大な国庫金投下した割には欧米投機家国内ユダヤ人アルメニア人などズィンミー業者だけが利益を得るような非効率性をともない、これにはムスリム側からの不満も大きかったムスリム反発は、外国資本排斥運動には向かわず多く場合イスラーム神秘主義教団影響を受け、帝国内の少数民族への敵意反発へと向かった1854年始まった外債依存は、まもなくイズミル-アイドゥン間の鉄道敷設外国人認可する結果となり、殖産興業地道に取り組む官僚にはめぐまれずまた、スルタン浪費癖の強いアブデュルアズィズなどは改革派官僚対し必ずしも協力的とはいえなかった。外債利権をともなうところからタンジマート改革そのもの西洋諸国野心を誘う危険もあった。クリミア戦争戦費外債からまかなわれ相次ぐ戦争戦費外債への依存をさらに強めた。これが、1881年の「オスマン債務管理局設立原因のひとつとなった。それがまた、さらなる外圧を招く結果となり、オスマン帝国はやがて「瀕死病人」「ヨーロッパ重病人」とさえ呼ばれるようになったミドハト憲法は、世界史的にみれば上記のような画期性を有していたが、露土戦争敗北アブデュルハミト2世による専制復活、さらに、当時国情合わない部分もあって1878年停止余儀なくされた。起草ミドハト・パシャ追放され議会閉鎖余儀なくされた。それは、首都中心とする一握りエリート立憲主義運動開明政治家であるミドハト・パシャ卓越した政治力によってかろうじて実現されたものだったのであるタンジマート全体見渡しても、列強外圧契機としており、「恩恵」の名が示すように「上からの改革としての限界をもつものであった立憲派の力も、たとえば自由民権運動期日本などとくらべるとひじょうに弱いものであった。しかし、分権化の傾向顕著な地域にあっては帝国再統合推進し帝国本拠地であるアナトリアではアーヤーン自立分離傾向抑えることに効果があった。また、タンジマートの期間、出自家柄には必ずしもこだわらず能力本位人材登用がなされ、有為な人物新し知識技術をもつエリート層を養成することが可能となった。さらに、短期間であれ、オスマン帝国国政国民によって審議されたことの意味大きくミドハト憲法もまた1908年青年トルコ人革命の後、劇的な復活果たしており、その影響長く後世およんだのである

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