ゼーベック【Thomas Johan Seebeck】
ゼーベック (Seebeck, Thomas Johann)
ゼーベックという人は
ロシアに生まれるが、幼い頃に故郷をでて戻ることはなかった。 ドイツ、ゲッチンゲン大学で医学を修め医師になったが、医業のかたわら物理実験を行なう。 同時代人のゲーテやヘーゲルとも親交があった。 1818年、ベルリン学士院の会員に推薦される。エルステッドの研究に影響されて、電気の研究をはじめる。
ゼーベックの主な経歴
1821年、鉄粉による磁気模様の実験を行う。 導線の周囲に同心円状に鉄粉が散らばる鉄粉図形を描き、その大きさは導線に流す電流の大きさに比例することを確認した。 さらにこの鉄粉図形は、ほかの導線によって影響を受けることを確認し、 アンペールの右ねじの法則と相まって、ニュートン、クーロンらの力の遠達作用の概念を乗り越え、力線(磁力線、電気力線)、場(電界、磁界)の概念が誕生した。
1822年、ゼーベック効果を発見する。 人工電源としては摩擦電気、ボルタ電池が確立していた。 ボルタ電池に着目したゼーベックは、異種金属を湿った紙ではさんで接続していることにより電気が発生していることに注目した。 それはつまり、2種の金属の2箇所の接続点が異なった物理状態にあることにより起電力が発生していると考えた。 異なった物理状態であればよいのなら湿った紙は不要と考え、それまでの経験から銅と特殊な性質を示したアンチモン、ビスマスで異種金属接続の実験を行う。 銅とビスマスの一端をあらかじめ接続しておき、もう一端を指で押さえたら電流が流れた。 次に指でなくガラス棒で押さえたら電流は流れなかった。 指の熱が関係あると考えたゼーベックは両端を接続し、一端を暖め、一端を冷やしたところ大きな電流が流れた。 熱電効果の最初の一つである。
ゼーベック
トーマス・ゼーベック
(ゼーベック から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/06 15:27 UTC 版)
トーマス・ゼーベック Thomas Johann Seebeck |
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生誕 | 1770年4月9日![]() |
死没 | 1831年12月10日![]() |
研究分野 | 物理学 |
主な業績 | 熱電効果の発見 |
プロジェクト:人物伝 |
トーマス・ヨハン・ゼーベック(Thomas Johann Seebeck, 1770年4月9日 - 1831年12月10日[2])は、ドイツの物理学者、医師。1821年にゼーベック効果を発見した。
生涯
レヴァル(現在のエストニア、タリン)でバルト・ドイツ人(ドイツ系エストニア人)商人の家庭に生まれる。ギムナジウム卒業後はベルリン大学とゲッティンゲン大学で医学を学び、1802年にはゲッティンゲン大学から医学博士の学位を受けた。ゼーベックは医業のかたわら物理実験を行なった。最初イェーナで光学の研究を始め、太陽スペクトルの異なる色における熱効果や化学作用を調べた。また圧力を受けたガラス片中での偏光の問題を研究、1814年にはベルリン・アカデミー会員に選ばれた。その後ベルリンに移り、磁気現象の研究を行い、アラゴーの減衰法則やヒステリシスの初期兆候を見いだした。また銅とビスマスのような異なる2種類の金属ワイヤの両端を繋いでリングにして、接続部の片方を熱するとワイヤ中に電流が発生して磁場が発生することを発見した。これは彼の名を冠してゼーベック効果と呼ばれる。ゼーベック効果は熱電対やサーモパイル、熱電発電などに応用されている。
ゼーベック効果
1821年、ゼーベックは2つの異なる金属を使った回路で、金属同士の2箇所の接点に温度差を設けると方位磁針が振れることを発見した。当初ゼーベックは温度差によって金属が磁性を帯びたのだと考えた。しかし間もなく電流が発生していることがわかり、アンペールの法則によって方位磁針が振れたのだとわかった。より正確に言えば、温度差によって電位差(電圧)が生じ、それによって閉回路に電流が流れたのである。今日ではこれをゼーベック効果と呼ぶ。
発生する電圧は、2箇所の接点の温度差に比例する。その比例定数 (a) をゼーベック係数と呼ぶ。この電位差は接点以外での金属における温度勾配には依存しない。この効果が熱電対の物理学的基礎であり、温度測定によく使われている。
ゼーベックと同じ種類の言葉
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