スー族の社会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 01:03 UTC 版)
伝統的に高度な個人主義文化を持つ。男女同権であり、結婚も離婚も男女自由である。これは現在のスーの人々にも根強い。男性同性愛者などのLGBTは「ウィンクテ(女男)」と呼ばれ、かつては戦場で負傷者の手当てを行う役目を持っていた。他の部族と同様にLGBTが白人キリスト教徒によって徹底的に弾圧を受け、社会的役割を持っていない中、スー族のウィンクテは現在も神聖な赤子の名づけを行うなどの役割をスー族の社会に持っている。 多くのインディアンと同様、母系社会である。「アメリカインディアン運動」(AIM)の活動家であり、スポークスマンであるラッセル・ミーンズは、権利運動の中で何度も白人に殺されかけ、重傷を負っている。ミーンズはこのことについて「恐ろしくはないか」とインタビューされ、「スー族は女が支配する国です。女が力を持っている国では、男は怖いものは何もないのです」と答えている。 細かいバンドに分かれ移動生活を送っていた頃から、スー族は儀式などで年に何度か大集会を開き、パウワウを催す。現在も全米各地で生活している彼らは、パウワウやサンダンスの儀式があるたびにはるばる集まり、交歓を深める。スー族だけでなく、居留地時代に入ってのち全米のインディアン部族が、パウワウによる他部族との交流をさらに深めている。 しばしば誤解されるが、「スー族全体を統率する大酋長」といったものは、過去にも現在にもスー族を始めインディアン社会には存在しない。「酋長(チーフ)」という立場はあくまで「調停者」、「世話役」であり、誰かに「任命」されるような性格のものではないし、「裁判官」や「指導者」といった役割を持ったものではない。文字を持たないインディアン部族にとって弁舌の立つ者は尊敬され、調停者として「酋長」となる。しかし酋長は「首長」ではないし、部族民を従属させたり命令する権限など何も持っていない立場のものである。 白人たちは自分たちの政治体制を基本に考え、スー族などインディアン部族にも「皇帝」のような「大指導者」、「大酋長」を見つけようとし、その個人とすべての取り決めを結ぼうとした。しかしそのような存在はもとよりインディアン社会には存在しないのである。インディアンは「大いなる神秘」のもとに森羅万象が平等にすべてを共有するという哲学をもっており、すべてのものごとは「聖なるパイプ」によって合議制で決定される。 「酋長」はこの合議社会のなかでの調停者であり、個人的な責任は何もない。「大いなる神秘」のもと、すべてが尊重されるインディアン社会には、「他者に命令する」という文化がもともとないのである。ある酋長と協定を結んだとしても、インディアンにとってそれは他のバンドや部族全体とは何ら関係のない個人同士の取り決めである。部族のすべての意志は、長老や酋長たちの合議によってのみ決まるのである。しかし白人にはこれがどうしても理解できなかった。合衆国は常に「酋長」を「首長」と取り違えて扱ってきた。「酋長に命令したのだから、部族民は彼に従うべきだ」というような誤解が「インディアンは嘘つきだ」、「白人は嘘つきだ」などと民族間の不信を生み、果てには巨大な戦争までをも生んでいったのである。 高度な個人主義社会であるスー族では、男子が戦士になるのも戦に参加するのも、すべて個人の自由であり、彼らの行動は他人の指図で決まる性格のものではない。片手を挙げるだけで全戦士が盲従する「大酋長」、戦において戦士たちを率いる「戦争酋長(ウォー・チーフ)」など、西部劇映画などに登場するような存在は実際には存在せず、白人の全くの思い込み、フィクションである。白人たちは「尊敬を集める大戦士」の姿を見て、「大酋長」だと勝手に勘違いしたのである。「大戦士」と「酋長」は全く別個の存在である。あえて個人の生き方を左右する事柄と言えば、それは「夢による啓示(ビジョン)」である。
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