スー族とララミー砦条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 23:40 UTC 版)
「バッドランズ国立公園」の記事における「スー族とララミー砦条約」の解説
この国立公園はもともとオグララ・スー族インディアンの保留地(Reservation)であり、国立公園の南部サウスユニット(南地区)にまたがっている。ストロングホールド・テーブルの付近はもともとスー族の領土であり、生活の場ではなく、儀式の聖地として崇められている。 1868年の「第二次ララミー砦条約(英語版)」で合衆国はスー族に対し、バッドランズ一帯を「永久にスー族のものである」と保証した。しかし1889年にはこの条約は破られ、バッドランズは合衆国によって没収され、一方的に国立公園に組み入れられたのである。この条約破棄は合衆国最高裁判所によって1980年に違法判決がされていて、一帯は合衆国による公然不法占拠地となっている。 この地は19世紀末には、白人に追いつめられたスー族インディアンたちによって、「ゴーストダンス」と呼ばれる、バッファローや死者の魂を蘇らす儀式の場として盛んに使われた。1890年に最後のゴーストダンス(英語版)が行われたあと、合衆国によってこの儀式は徹底禁止されたが、1960年代から始まったインディアンの権利回復運動である「レッド・パワー運動(英語版)」によって儀式は復活した。
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