スポーツカー耐久
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「ニコラ・ラピエール」の記事における「スポーツカー耐久」の解説
2008年にオレカに移籍して、主にプロトタイプレーシングカーのドライバーとして活動するようになる。2009年にはアジアン・ル・マン・シリーズが初開催される岡山国際サーキットの岡山1000km耐久レースに出走している。 2012年には、FIA 世界耐久選手権(WEC)に参戦するトヨタ・レーシングと契約し、以降はWECシリーズの場において活躍している。 2014年のWEC第5戦の富士6時間耐久レースは個人的な都合により欠場している。それ以降、特に正式なアナウンスはないが、このシーズンのレースは欠場している。 2015年はKCMGのドライバーとなり、スパおよびル・マンのLMP2クラスに出走することとなった。ル・マンではLMP2のクラス優勝を果たした。 2016年はLMP2のシグナテック・アルピーヌに移籍。チーム体制にも恵まれて圧倒的な速さでル・マンで2連勝し、WECのタイトルも獲得した。 2017年はトヨタの三台目のドライバーとしてワークスに復帰、スパとル・マンでLMP1マシンを駆る。
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スポーツカー耐久
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「プジョー・スポール」の記事における「スポーツカー耐久」の解説
耐久レースではヴェリジー=ヴィラクブレーにスポーツカーチームを設立した。そして1988年に905プロジェクトを開始、1991年にスポーツカー世界選手権(SWC)に参戦した。プジョー・905は1990年に発表され、1991年シーズンはランキング2位となった。1992年シーズンにはル・マン24時間でデレック・ワーウィック、ヤニック・ダルマス、マーク・ブランデル組が優勝を遂げた。また、ワーウィック、ダルマス、フィリップ・アリオー、マウロ・バルディの活躍でシリーズチャンピオンも獲得した。SWCは1992年限りで廃止となったが、翌1993年はル・マン24時間レースで1-2-3フィニッシュを達成し、スクーデリア・フェラーリへの移籍が決まっていたジャン・トッドを有終の美で送り出し、またグループCの終焉を受けてこの年限りでプジョーはスポーツカーレースから撤退した。 その後WRC復帰を経て2007年、耐久レース界で圧倒的な強さを誇るアウディ・R10 TDIに対抗すべく、ディーゼルエンジン搭載のプロトタイプレーシングカーであるプジョー・908 HDi FAPにてル・マン24時間レースへ再参戦を開始。ドライバーにはジャック・ヴィルヌーヴを始めとする元F1ドライバーを多数起用しており、優勝を目指す姿勢を鮮明に打ち出した。シリーズを支配するアウディに対してプジョー・908 HDi FAPで挑戦した。908はル・マン・シリーズ第1戦、モンツァ1000kmでデビューし、マルク・ジェネ、ニコラ・ミナシアン組がこのレースで優勝した。ル・マン24時間レースではステファン・サラザンがポールポジションを獲得、レースではサラザン、ペドロ・ラミー、セバスチャン・ボーデ組の8番車がアウディ1番車に次いで2位でフィニッシュした。ル・マンの後サラザンとラミーはル・マン・シリーズタイトルを獲得した。 2008年ル・マンではサラザンが3分18秒513という前年度のタイムを8秒近く上回り、ユノディーエールにシケインが出来て以来初となる10秒台に突入するという驚異的なタイムで再びポールポジションを獲得し、グリッド1列目をプジョーが独占した。しかしレースではそれぞれ2位、3位、5位で優勝は為らなかった。ル・マン・シリーズではアウディに次ぐランキング2位となり、ミナシアン、ジェネが共にドライバーズランキング2位となった。 2009年の始めにPSA・プジョーシトロエンは、シトロエンのスポーツディレクター、オリビエ・クエスネルをプジョー・スポールのディレクター兼任とした。ル・マン24時間ではサラザンが再びポールポジションを獲得、レースではデヴィッド・ブラバム、ジェネ、アレクサンダー・ヴルツ組が勝利し、1993年以来念願の総合優勝を果たした。2位にはフランク・モンタニー、ボーデ、サラザン組が入り、チームの3台目は6位に入賞した。その他のシリーズ戦では、ル・マンに備えたスパ戦にしか参戦しなかった。 2010年のセブリング12時間でチームは2度目の1-2フィニッシュを達成した。しかしながらル・マン24時間では信頼性の問題が生じ、アウディが1-2-3を達成した。 2011年のセブリング12時間では、チーム・オレカの旧型プジョー・908 HDi FAPがファクトリー仕様のプジョー・908およびアウディ・R15を抑えて驚きの勝利を挙げる。ル・マン24時間では2台のアウディ・R18がクラッシュしたが、残る1台に抑えられ2位に終わった。優勝したアウディは2位の908に対して僅か13秒のリードしか無かった。 2012年1月18日、新たに誕生する世界耐久選手権(WEC)にプジョー・908 HYbrid4で参戦する予定であったが、景気の失速と販売不振を理由とし、突如スポーツカーレースからの撤退を発表した。 2020年、2021年から始まるル・マン・ハイパーカー(LMH)規定に、リジェ・オートモーティブとも提携し、2022年からWECに参戦することが発表され、その後新型プジョー・9X8を発表した。しかしその後、2022年についてはル・マンまでの3戦を欠場し、第4戦モンツァより2台体制での参戦が正式発表された。
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