スポーツカー世界選手権の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 08:56 UTC 版)
「自動車競技」の記事における「スポーツカー世界選手権の誕生」の解説
自動車競技の多様性は形態が限りなく市販車に近いスポーツカーレースにまで発展していった。前述のフォーミュラ1はフォーミュラカーを使用したシングルシーターによる比較的短距離(スプリント)なレースであり、選手権の内容もドライバーを重視したものであった。これに対し市販車ないし市販を前提に開発した車両、つまりは運転席と助手席が存在するスポーツカーを使用したレースは自動車製造業者(マニファクチュアラー)が主体のものとなった。したがって、自動車性能を示す一つである耐久性も考慮され、大変長距離(エンデュランス)なレースとなるが、こうしたレースはそれまでにミッレミリア、ル・マン24時間、RACツーリストトロフィーレースといった伝統的なものが存在していたが、それぞれのレースに主催団体が違っていた為にそれまで選手権としての統一が実現しなかった。 その為、こうした耐久レースを統一したものとして1953年にスポーツカー世界選手権 (Championnat du Monde des Voitures de Sport) が発足された。初開催となった1953年は上記の伝統的なレースに加え、近年に発足された12時間耐久グランプリ、フランコルシャン24時間、国際ADAC1000キロメートルレース、カレラ・パナメリカーナを合わせて計7戦が開催された。 スポーツカーレースの勃興は欧州はもちろん、それまでオーバルサーキット一辺倒であったアメリカのレース文化を大きく刺激し、Can-amやIMSAなどを誕生させた。
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