ストレイチー書簡とは? わかりやすく解説

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ストレイチー書簡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:56 UTC 版)

シェイクスピア別人説」の記事における「ストレイチー書簡」の解説

「ストレイチー書簡」は、『テンペスト』インスピレーション与えた可能性が高い資料であると従来学者多く考えてきた。 この文書は、1609年アメリカヴァージニア植民地へ向かうイギリスSea Venture号がバミューダ諸島沖で嵐に巻き込まれ難破した際の様子記述したもので、帰還した乗客1人であった作家ウィリアム・ストレイチー(William Strachey)がヴァージニア会社関わりのある「高貴な女性」に宛てて綴った書簡であり、1610年書かれたと伝えられている。同年中には、この書簡公刊されたのは1625年だが、写し出回っていたと推測されている)やシルヴェスター・ジョーダン(Sylvester Jordain)の『バミューダ島発見記』("A Discovery of the Bermudas"、通称「バミューダ・パンフレット」)が広く読まれていたので、嵐の描写類似などからシェイクスピアがこれらを参照していたというのが定説になっている。そのため、この書簡20世紀初以降研究者から重要視されてきたのである。しかし1970年代には、この書簡重要性正統派学者からさえ疑問視されるようになった文学者のケネス・ミューアが「私が思うに、バミューダ・パンフレットがこの作品及ぼした影響大きさ誇張されているのではないか」と疑義表明したのであるミューアは、ストレイチー報告書よりも前に書かれセント・ポールによるマルタでの難破報告書『テンペスト』との間で共通する13主題言い回し引用している。 ストレイチー書簡が『テンペスト』資料であったとすると、この戯曲オックスフォード伯死後書かれたものであることになるため、この書簡存在オックスフォード派に対する強い反証となっていた。しかし、21世紀に入ってからの研究者の間ではシェイクスピアがこの書簡基づいて『テンペスト』執筆したという説に疑義呈されるようになった。ニュー・ケンブリッジ版全集編集者デヴィッド・リンドレイによれば、ストレイチー書簡は『テンペスト』資料であった可能性はあるが、オウィディウスモンテーニュのように、それがなければ書けなかったという程の資料ではない。オックスフォード研究者はこれに賛同し加えてその他の先行する資料重要性指摘している。特にリチャード・エデンの"The Decades of the New Worlde Or West India"(1555年)やエラスムスの"Naufragium"("The Shipwreck"、1523年)は、言葉イメージに関してストレイチー書簡よりも多く類似点見られるという新しい研究成果発表している。 オックスフォード派のさらなる研究成果としては、リチャード・ハクルート(Richard Hakluyt)の著書イギリス国民航行航海交通および発見』("The Principal Navigations, Voyages, Traffiques and Discoveries of the English Nation"、1598年 - 1600年)に、やはりバミューダ沖で1593年起きたエドワード・ボナヴェンチャー号(Edward Bonaventure)の難破についてのヘンリー・メイ船長による目撃証言掲載されているという事実の発見などがあり、バミューダ沖での海難事故は他にも起きていたこと、シェイクスピア参照したのがストレイチー書簡ではなくこちらの事件報告であった可能性があることなどが指摘されている。この船に関するさらに注目すべき事実として、探検家マーティン・フロビシャー1582年レスター伯宛てた手紙存在がある。この手紙でフロビシャーオックスフォード伯自分投資してこの船を買い与えてくれたこと、すなわちオックスフォード伯がこの船の所有者であった時期があることを明らかにしているのである一方ベーコン派にとっては、1609年時点ではベーコンヴァージニア植民地統治議会にいたという事実から、このストレイチー書簡は重要なものとなっている。ベーコン派の中には、この書簡当初機密扱いとなっており、議会メンバー以外には秘せられていたはずだと考える者がいる。その根拠は、植民地総督のトマス・ゲイツ(Thomas Gates)が1609年ヴァージニア向けて出発する際に政府与えた指示である。「貴殿は以下の事柄について細心の注意を払うべし。英国対しいかなる交渉もたらされたか。いかなる文書書かれたか。いかなる現地産品梱包封印され本国政府首班宛て送られたか」。植民地政府手紙読み終えられた後もこの守秘義務を通す方針であったか否かに関して議論の余地がある。つまり、機密文書触れることのできる立場にいたベーコンなればこそストレイチー書簡の影響下に『テンペスト』執筆できたのだとする仮説と、シェイクスピア知人多くヴァージニア会社役員ないしは役員近しい関係にあったためシェイクスピアその内容を知ることができたのだとする仮説成り立つのである

※この「ストレイチー書簡」の解説は、「シェイクスピア別人説」の解説の一部です。
「ストレイチー書簡」を含む「シェイクスピア別人説」の記事については、「シェイクスピア別人説」の概要を参照ください。

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