ストア派の倫理学・徳論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 23:52 UTC 版)
古代のストア派は今日とは意味の異なる用語を使っていたためにしばしば誤解される。「ストイック」という言葉は「非感情的」あるいは苦痛に無関心だという意味を持つようになった、というのはストア倫理学では「理性」に従うことによって「情動」から解放されることを説いたからである。ストア派は感情を消し去ることを追求したのではなかった。むしろ彼らは、明確な判断と内的な静寂をもたらしてくれるような断固たるアスケーシスによって感情を変質させようとしたのである。論理、内省、専心がそういった自己修養の方法とされた。 キュニコス学派の影響を受けているストア倫理学の基本は、善は魂自体の内部に存するということであった; 知恵と自制心。ストア倫理学は規律を強調する: 「理性の導くところに従え」 そのためある者は情動から逃れようと努力し、古代における「情動」の意味は「苦悶」あるいは「苦痛」、すなわち、外的な出来事に「受動的に」反応することだと心にとどめた―現代の用法とは幾分か異なる。「情動」つまり本能的な反応(例えば肉体的な危険にさらされたときに顔が青ざめ身震いすること)と通常訳される「パトス」と、ストア派の知者(ソポス)の表徴である「エウパトス」とが区別された。情動が間違った判断から生まれるのと同様に正しい判断から生まれてくる感じが「エウパテイア」である。 その思想はアパテイア(希: ἀπάθεια、心の平安)によって苦痛から解放されるというもので、ここでは心の平安は古代的な意味で理解される―客観的であり、人生の病める時も健やかなる時も平静と明確な判断とを保つ事。 ストア派では、「理性」は論理を用いることだけではなく、自然―ロゴス、普遍的理性、万物に内在するもの―の過程を理解することをも意味した。彼らの考えるところによれば、理性と徳による生とは、万人の本質的な価値と普遍的な理性を認識し、世界の神的秩序と一致して生きることである。ストア哲学の四枢要徳は、 「知恵」(ソピア) 「勇気」(アンドレイア) 「正義」(ディカイオシュネー) 「節制」(ソープロシュネー) であるが、これはプラトンの教えに由来する分類である。 ソクラテスに従って、ストア派では、自然の中の理性に人間が無知であることから不幸や悪は生じるとされた。誰か不親切な人がいるなら、それはその人が親切さへと導く普遍的な理性に気付いていないからである。そこで、悪や不幸を解決するにはストア哲学―自分自身の判断や行動を観察し、どこで自然の普遍的理性に背くかを決定すること―を実践すべきだとされた。 自己の命をあっさりと扱うが、人間それぞれの究極的、最終的な自由意志を全面的に尊重しているが、決して他者に対しての殺人は肯定しない。ただし当時の他の哲学と同様に敵に対して勇猛に戦うことは善とされた。(当時の世相を反映し解釈すれば至って当然)このような考え方は「魂は神から借りているだけ」という言葉に端的に表されている。(人は最終的に神からの分け御霊であるということを主張) 高潔な生活を送れないような状況下で賢者が自殺することを許すことがストア派では認められた。悪政の下で生きることはストア主義者としてマルクス・ポルキウス・カト・ウティケンシスのいう自己一貫性(コンスタンティア)に悖り、名誉ある倫理的選択を行う自由を傷つけるとプルタルコスは考えた。深刻な苦痛や病を受けた時には自殺は正当化されうるが、さもなければ大抵の場合自殺は社会的義務の放棄とみなされた。
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