ストア内に陳列された4絵画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 20:31 UTC 版)
「ストア・ポイキレ」の記事における「ストア内に陳列された4絵画」の解説
ストア建造後まもなく、『オイノエ』『アマゾノマキア』『トロイアの陥落』『マラトマキア』の4つの絵画が陳列され、ペイシアナクテイオス=ストア(Πεισιανάκτειος στοά)と呼ばれていた柱廊はポイキリ=ストア(Ποικίλη στοά,絵画のある柱廊)と呼ばれるようになった。これらの絵画は失われてしまい現存していないが、2世紀の地理学者パウサニアスが著した『ギリシア案内記』からその内容を知ることができる。 ストアに陳列された絵画は、ストア建築と同時代と英雄時代の戦いを扱い、相互に関連しながら全体としてアテナイの対外的な勝利を称揚しつつ、同時に勝利に際しての振る舞いを戒める警告的な意味合いも持っていたと言われる。その後、ペロポネソス戦争で投降したスパルタ兵から得た盾という象徴的な戦利品が展示されるようになるなど、ストアが勝利の殿堂にふさわしい空間として認識され戦勝記念碑的性格がより強まっていたと考えられている。 オイノエ (作者不詳) アテナイ勢がスパルタ勢を破ったオイノエの戦い、あるいはオイノエでのアテナイ勢と同盟軍の合流を描いたものとされる。 パウサニアスは『ギリシア案内記』で「そのストアの最初にアテナイ人たちがアルゴス地方のオイノエにてラケダイモン人たちに対して陣を組んでいるのがまずある。描かれたのは、戦いの最高潮まで達せず、また武功を示すほどのところでもなく、それよりもむしろ戦いがはじまり武器持つ者たちが接敵しつつあるところである。」と記した。 アマゾノマキア (作者はミコン) アマゾン勢とアテナイ勢の神話上の戦いを描いたものとされる。 パウサニアスは「そして壁の中ほどでアテナイ人たちとテセウスがアマゾン族たちと戦っている。」と記した。 トロイアの陥落 (作者はポリュグノトス) トロイア戦争の神話から(トロイア王プリモスの娘)カッサンドラを凌辱した小アイアスの処遇についての協議を描いたものとされる。 パウサニアスは「そしてアマゾン族たちの次に、イリオスを手にしたギリシア勢と、カッサンドラに対して酷いことをしでかしたアイアスのために集まった王たちがいる。そしてその絵にはアイアスと捕らわれの女性たちと、加えてカッサンドラがいる。」と記した。 マラトノマキア (作者はパナイノスまたはミコン) マラトンの戦いを描いたものとされる。 パウサニアスは「そして絵の最後がマラトンで戦った者たちである。プラタイアのボイオティア人とアッティカの全軍に相当する者たちが、バルバロイと戦を交えている。」と記した。 ストア・ポイキレには5つ目の絵画『嘆願するヘラクレスの子供たち』が存在したとする説もあるが、多くの研究者はこの5つ目の作品はこの場所には陳列されていなかったとしている。
※この「ストア内に陳列された4絵画」の解説は、「ストア・ポイキレ」の解説の一部です。
「ストア内に陳列された4絵画」を含む「ストア・ポイキレ」の記事については、「ストア・ポイキレ」の概要を参照ください。
- ストア内に陳列された4絵画のページへのリンク