スタリオン4WDラリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 08:51 UTC 版)
「三菱・スタリオン」の記事における「スタリオン4WDラリー」の解説
1983年11月、東京モーターショーにてスタリオン4WDラリーが展示された。当時グループB規定車両で競われていたWRCに、翌年からの参戦とホモロゲーション用車両の市販を視野に入れたこのマシンは、最高出力360 ps、最大トルク32.0 kg-mを発生するSOHC 2,091 cc・インタークーラーターボ付きシリウスDASH3×2エンジンを搭載し、ビスカスカップリング式4WDを介して路面に伝える、開発中のラリー競技専用車両だった。 スタリオン4WDラリーはフロントのオーバーハングが切り詰められ、丸型ヘッドランプと大型フォグランプを装着。FRP製のボンネットフードにはエアインテークが設けられていた。フロント・リアともにオーバーフェンダーを装着。リアスポイラーに内蔵されたオイルクーラーなどが外観上の特徴だった。 実際の開発マシンには、ランサーEX2000ターボに搭載されていた2バルブのG63Bをベースに2,140 ccまで排気量をアップし、更なるチューニングが施されたG63B'(ダッシュ)が搭載されていた。1983年2月に試作1号車のT1が、4月に2号車のT2が完成し精力的なテストが行われ、比較実験で仮想敵とされた当時のWRC最強マシンアウディ・クワトロを上回るコーナーリングスピードをマークするなどポテンシャルの一角を見せた。マシンの開発ドライバーは、のちのグループAランサーでトミ・マキネンの活躍を支えたラッセ・ランピだった。スタリオン4WDラリーで培われたハイスピード4WDマシンの技術は、後に登場するギャランVR-4やGTO、ランサーエボリューションに活かされた。 1984年市販車生産計画中止が決定するも、その後も各種ラリーのプロトタイプクラス出場と将来の後継車のための技術開発のため開発は続行され、同年8月のミルピステ・ラリーのホモロゲーションなしでも参戦できるエクスペリメンタルクラスに出場し、クラス優勝を飾った。11月のRACラリーには特別枠のプロトタイプクラスに参戦し、完走した。 1985年はマレーシア・ラリーのプロトタイプクラスに出場、結果はリタイアとなった。1986年と1987年には香港-北京ラリーにイエローの555カラーを纏ったスタリオン4WDラリーが参戦した。1986年は総合2位、1987年は9位と26位。 総生産台数は5台。現存数は3台(日本に2台、英国に東京モーターショー仕様が1台)。前述のT1/T2に加えS1/S2の4台と、市販車のために揃えられた各種部品は廃棄されたと言われているが、岡崎工場に市販車仕様のレプリカが1台展示されている。市販車仕様はラリー会場などに展示されてあることもある。また、映画『SS エスエス』にも工場に置いてあるものとして登場し、このことから2008年度の東京オートサロンに展示されたことがある。この岡崎工場仕様とは別にオーナーにより市販版のスタリオンを4WDラリーの外観にしているものも存在する。 近年香港-北京ラリーで走った個体が現存している事が確認されている。
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