シッタン・ベンド等における牽制攻撃とは? わかりやすく解説

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シッタン・ベンド等における牽制攻撃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 01:28 UTC 版)

シッタン作戦」の記事における「シッタン・ベンド等における牽制攻撃」の解説

6月25日日本の第33軍はシッタン川河口東岸再編成沿岸防備実行であったが、麾下第53師団第18師団シッタン川西岸への牽制攻撃命じた。第33軍と第28軍の間で無線不通のため、将校斥候によってかろうじて連絡が行われ、7月20日渡河先立つ7月3日牽制攻撃開始されることになった投入兵力は、第18師団1000人、第53師団2000であった7月1日日本第53師団は、折畳舟8隻・ゴムボート現地民間船シッタン川渡河した。西岸態勢整えると、7月3日にミイトキョーを目標進撃開始し7月8日にミイトキョーとボンパンアウクの各集落攻略した。ミイトキョーにいたイギリス軍の第7インド師団89旅団部隊同地確保犠牲大きいと判断して一時後退し、第6グルカ連隊第3大隊第4軍団手持ちの全航空兵力で反撃行った7月9日には歩兵128連隊長菊池芳之助大佐戦死した7月10日日本第53師団第一次目標達成判断して一部残してシッタン川東岸撤収したその後第53師団シッタン川東岸第28軍将兵収容準備当てられ、ミイトキョー地区での戦闘はなかった。 一方第18師団第53師団南方河口寄りで、7月3日未明師団主力歩兵第55連隊歩兵第56連隊配属砲兵2個中隊等)が、折畳11隻・ゴムボート現地民間船シッタン川渡河した。第18師団右翼歩兵第55連隊はサトワジョン付近占領してアビヤ=ニャンカシ(ニャウンカシュ)間の鉄道線遮断し左翼歩兵第56連隊はニャンカシ駅周辺駐屯する第7インド師団89旅団の第8グルカ連隊4大隊を攻撃した苦戦した7月7日中永太郎第18師団長は攻撃中止命じて2個大隊残して東岸撤退したが、同日イギリス軍もニャンカシが孤立状態となったため第8グルカ連隊4大隊をサトワジョン方面退却させた。ニャンカシ撤退に際して、第7インド師団砲兵QF 25ポンド砲3門放棄という初めての火砲損失出した日本第18師団はニャンカシを占領後、第33軍の命令基づいて7月26日からサトワジョン付近からアビヤ方面攻撃再開し7月30日アビヤ駅周辺大火災発生報じた他方イギリス軍記録によると、日本軍8月2日にサトワジョンを1日だけ占領して引き上げたとしている。 シャン高原第56師団基幹とする集団集団長:松山祐三中将)も、6月28日から歩兵第113連隊命じてトングー方面へ斬込隊を出撃させて、第28軍渡河作戦呼応した。しかし、多少戦果はあったものの大きな牽制効果得られなかった。

※この「シッタン・ベンド等における牽制攻撃」の解説は、「シッタン作戦」の解説の一部です。
「シッタン・ベンド等における牽制攻撃」を含む「シッタン作戦」の記事については、「シッタン作戦」の概要を参照ください。

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