サリチ岬沖の海戦とは? わかりやすく解説

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サールィチ岬の海戦

(サリチ岬沖の海戦 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/28 00:56 UTC 版)

サールィチ岬の海戦(サールィチみさきのかいせん;ロシア語: Бой у мы́са Са́рыч ボーイ・ウムィーサ・サールィチュ)は、第一次世界大戦初期にクリミア半島南端のサールィチ岬沖においてロシア帝国艦隊とドイツ帝国オスマン帝国艦隊の間に行われた海戦である。事実上、戦闘はロシアの前弩級戦艦エフスターフィイとドイツ・オスマン帝国の巡洋戦艦ヤウズ・スルタン・セリム(ドイツ名ゲーベン)との一騎討ちとなった。ゲーベンが多数の命中弾を受けて戦場から逃走したことで戦闘は終結した。前弩級艦弩級艦に正面から戦いを挑み、勝利を収めた珍しい例である[2]


  1. ^ 当時ロシアで使用していたユリウス暦では11月5日、現代の多くの国で使用されているグレゴリオ暦では11月18日となる。
  2. ^ ただし、ロシアの公式発表では「戦勝」とされたものの、実際にはロシア艦も大きな損傷を受けており、ドイツ艦の損傷がそれほどでなかったことを考えると、艦・人員等の損害を主体として考えた場合の「勝利」には疑いが差し挟まれている。
  3. ^ ゾーヒョンとも。
  4. ^ 112 名が死亡とする資料もある。


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