サハ3350形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 15:01 UTC 版)
「東急3300系電車」の記事における「サハ3350形」の解説
東急初のサハ(付随車)で、台枠・台車(省形TR10形)は木造車のものを流用しているが、車体そのものはモハ510形(→デハ3450形)をベースにしており、同形と編成を組んだ。 周辺私鉄はもとより、鉄道省であっても付随車はサハ19形・サハ25形等の木造車が多数使用され、そもそも私鉄での3両編成自体が異例という時代にあって、鋼製車体の付随車は異彩を放ったと言われる。本形式登場に続いて同様の手法でモハ150形(→デハ3300形)が製造されたが、こちらは川崎車輛製で、電動車であるほかに車体幅や細部寸法に差異がある。大東急発足時にサハ3350形3351 - 3354と改番された。 1951年に発生した桜木町事故の教訓を受け、デハ3450形と共に東急初の貫通3両編成を組むことになり、全車両妻面が貫通化された。また、運用上サハ3350形はデハ3300形と組成されることはまずなかった。 全長が短いことに加え、車体幅が狭いことから早期に整理対象となり、供出車や戦災応急復旧車を別にすれば初代3000系列初の消滅形式として1965年に4両全車が上田丸子電鉄に譲渡された。2両はサハ60形61(←3351)・62(←3353)と改番し、当初は真田傍陽線で使用された後、同線廃止によって別所線に転じたが、61は使用されないまま1980年に廃車、62のみ整備されて使用されていたがクハ290登場で休車となったものの、1986年の別所線昇圧まで在籍していた。残る2両(3352,3354)は路線縮小に伴い上田丸子電鉄での使用の見込みがなくなり、1967年に車籍がないまま西武建設が購入、同社所沢車両工場で外板張替え・広幅貫通路化・金属サッシ窓化・台車取り換えが行われ、1971年に伊予鉄道へ新製扱いで売却され、サハ500形となった。こうした経緯のため、伊予鉄道譲渡後と東急時代との旧番号対比は不明である。モハ300形と3両固定編成で使用された。700系導入に伴いサハ501は廃車されたが、サハ502はモハ303・304と共に行われた高性能化改造により、新造の空気ばね台車に電気指令式ブレーキを装備するなどの大改造が行われており、2000年頃まで使用されていた。その後は検査期限切れから古町車庫に留置され休車となっていたが、2008年に廃車、解体された。 なお、サハ3250形3251はサハ3351の改造名義となっているが、書類上のみで部材、部品等の流用はなく、実態は無関係である。
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