コレクションの寄贈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/14 07:00 UTC 版)
和楽器の普及、商圏拡大のため、国内外へコレクションを積極的に寄贈した。1961年(昭和36年)5月セルヌスキ博物館(フランス語版)副館長ルネイヴォン・ルフェーブル・ダルジャンセ(神戸総領事夫人とも)の来訪を受けた際、太助作の筝に関心を示したため、寄贈を申し出、1962年(昭和37年)1月4日作品は発送された、5月25日自己負担での渡仏を申し出るも、為替管理法の関係で拒否されたことが朝日新聞で報道されると、1963年(昭和38年)6月大阪フランス友好協会の尽力で渡仏が実現し、27日国立パリ音楽院付属楽器博物館で贈呈式、7月17日パリ日本館で同伴者柴田貴美子による演奏会に出席し、イタリア・スイス・イギリスを回って帰国した。 1966年(昭和41年)夏、武蔵野音楽大学楽器陳列室を訪れて和楽器の寄贈を申し出、1967年(昭和42年)10月大学側はこれを契機に独立棟として楽器博物館を開館した。1966年(昭和41年)11月には大阪音楽大学に邦楽器64点を寄贈し、1967年(昭和42年)4月楽器資料室、短期大学第1部・第2部音楽専攻に筝科が設けられた。同年相愛大学にもコレクションを寄贈した。 1966年(昭和41年)武蔵野音楽大学学長福井直弘を通じて西ドイツ・オーストリア両大使から筝の購入を打診され、1968年(昭和43年)7月自作筝2点を寄贈し、それぞれベルリン楽器博物館(ドイツ語版)・ウィーン民族博物館(ドイツ語版)に納められた。 1968年(昭和43年)勲六等単光旭日章を受章した。1972年(昭和47年)死去した。
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