コレクションの大規模取得と限定的な購入の併用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 22:58 UTC 版)
「コンデ美術館」の記事における「コレクションの大規模取得と限定的な購入の併用」の解説
1854年、オマール公は、義理の父親であるレオポルド・ド・ブルボン=シシルの蒐集品を取得するが、このコレクションには現在展示されているイタリア絵画の半数以上が含まれていた。それと同時に、彼は公的なオークションでニコラ・プッサンの《嬰児虐殺》を購入した。愛書家としても専門の知見を持っていたオマール公は、中世の彩飾写本も購入しており、その中には1856年にイタリアで手に入れた『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』がある。1861年に、ルーヴル美術館の学芸員をしていたフレデリック・レゼのコレクションが売り立てが行われたことは、現在コンデ美術館で最高級の、デューラー、ラファエロ、プッサンらの素描を取得する機会となった。 1869年、メゾン侯爵のコレクションを購入すると、18世紀絵画と19世紀のオリエンタリズム絵画が加わった。1869年のドレッセールでの売り立てにおいては、オマール公はラファエロの《オルレアンの聖母》を購入することに成功した。この作品は、作品名にも記されているようにオマール公の一族に属していたものであった。 1871年にフランスに帰国し、アカデミー会員になったオマール公は、コレクション獲得を続けた。1876年、オマール公は、サザランド公爵のもとで、アレクサンドル・ルノワールによって収集されロンドンのスタフォード・ハウスに保存されていたフランス人の肖像画コレクションを買い上げる。つまり、フランソワ・クルーエ、コルネイユ・ド・リヨン、ピエール・ミニャール、そしてフィリップ・ド・シャンパーニュのものである。三年後には、イタリア初期ルネサンスの諸作品やプッサン一点、そしてジェラールやアングルの作品群を含むフレデリック・レゼのコレクションを買い上げた。. 1881年は、クルーエとカーリスルに当時帰属されていたカトリーヌ・ド・メディシスのコレクション由来の311点の肖像画の番だった。その後は、さらに規則的に購入が行われるようになる。1885年には《三美神》、1890年にはコローの《田園の奏楽》、1891年にはジャン・フーケ作の《エティエンヌ・シュヴァリエの時祷書》からの40葉の写本抜粋、1892年には、フィリッピーノ・リッピの《アハシュエロス王に選ばれるエステル》である。
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