グレイ家以降(第2期)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/02 03:48 UTC 版)
「ルーカス男爵」の記事における「グレイ家以降(第2期)」の解説
現存するルーカス男爵は、1671年に没した初代ルーカス男爵ジョン・ルーカス(英語版)の娘メアリー・ルーカス(?-1702)に与えられたものである。 彼女は1663年に第11代ケント伯爵アンソニー・グレイ(1645-1702)と結婚し、同年の5月7日にウィルトシャー州クラッドウェルのルーカス女男爵(Baroness Lucas, of Crudwell in the County of Wiltshire)に叙された。この爵位は他の多くの古いイングランド貴族爵位に見られるように、初代男爵の女系子孫にも承継できるものだが、姉妹間の優劣においては姉の家系を優先させる特別継承権が付された珍しい事例である。 その後の1702年に初代女男爵が没したため、彼女の息子である第12代ケント伯爵ヘンリー・グレイ(1671-1740)が2代男爵となった。さらに彼は1706年11月14日にグレートブリテン貴族としてケント侯爵(Marquess of Kent)、ハロルド伯爵(Earl of Harold)及びヘレフォード州ゴドリッチ城のゴドリッチ子爵(Viscount Goderich, of Goderich Castle in the County of Hereford)に昇叙した。ついで1710年4月28日にはグレートブリテン貴族としてケント公爵(Duke of Kent)に陛爵した。 公爵位創設から8年後の1718年に初代公の息子アンソニー(1695-1723)は繰上勅書による議会招集を受けて、父よりルーカス男爵位を承継して3代男爵となった。しかし彼は1723年に急逝したため父の爵位を相続できなかった。そのため男爵位は再び初代公が承継した。そこで初代公の最晩年にあたる1740年には孫娘ジェマイマ・グレイ(1722-1797)も継承者に加えたグレイ侯爵(Marquess Grey)が授与された。その後同年の6月に初代公が亡くなり、同人の死をもってケント公爵を含む多くの爵位は廃絶、グレイ侯爵とルーカス男爵のみジェマイマに相続された。 第4代女男爵ジェマイマは1740年に第2代ハードウィック伯爵フィリップ・ヨーク(1720-1790)と結婚し、アマベルとメアリーの姉妹を儲けた。男子がいなかったためグレイ侯爵は廃絶したが、ルーカス男爵は長女アマベル(1751-1833)が承継した。なお彼女は1816年にベッドフォードシャー州におけるレストのド・グレイ女伯爵(Countess de Grey, of Wrest in the County of Bedford)に叙されている。 第5代女男爵には子供がなかったため、ルーカス男爵は妹のメアリー(1757–1830)が相続し、ド・グレイ伯爵はメアリーの長男トマス・フィリップ・ド・グレイが継いだ。 その後メアリーが死去すると第2代ド・グレイ伯爵トマスが男爵位をついだ。 6代男爵トマスはトーリー党の政治家として活動し、1841年から1844年にかけてアイルランド総督を務めた。その在任時にジャガイモ飢饉が発生した際には、英国の利益ではなくアイルランドに焦点を当てた救済立法を政府に要望した。 晩年の彼には子供がいなかったため男系継承しかできないド・グレイ伯爵位は甥のジョージ・ロビンソンへ、女系継承可能なルーカス男爵位はトマスの娘アンへそれぞれ相続された。(→以降の歴史はド・グレイ伯爵を参照) 7代女男爵アンはクーパー伯爵家に嫁いだため、それに伴って爵位もクーパー家に移った。アンの死後はその長男である第7代クーパー伯爵フランシス・クーパー(1834–1905)が8代男爵となった。彼は男爵位を継ぐ以前に、自身がオーモンド・オソーリィ伯爵バトラー家の女系子孫であるため、バトラー家がかつて保持した特定の爵位について回復の請願(claim)を行った。その結果、彼はハートフォード州ムーアパークにおけるムーアパークのバトラー男爵(Baron Butler of Moore Park, of Moore Park in the County of Hertford)とディンゴール卿(Lord Dingwall)の2つの爵位を取り戻していた。 (→以前のディンゴール卿の歴史はディンゴール卿参照) 8代男爵は自由党の政治家として活動し、グラッドストン政権下では儀仗衛士隊隊長と貴族院院内幹事を兼任した。 その後フランシスが嗣子なく没した際にクーパー伯爵位は廃絶、バトラー男爵は姉妹間の優劣がつかず停止となった。(→以前のクーパー家の歴史はクーパー伯爵を参照)(→バトラー男爵も参照) 一方でルーカス男爵位とディンゴール卿位は彼の甥にあたるオベロン・ハーバート(1876–1916)が相続した。この継承は1907年に貴族院特権委員会によって追認され、同年に彼は貴族院に議席を得ている。 しかし9代男爵オベロンにも子がいなかったため、ルーカス男爵とディンゴール卿は彼の妹ナン(1880–1958)が相続した。 ナンは教育者として知られていたほか、先祖アマベル・ヒューム=キャンベルの銅板画コレクション約4000点を大英博物館に寄贈した。 また彼女には娘が2人いたため、長女アン(1919–1991)が11代女男爵となった。 11代女男爵アンはセルボーン伯爵パーマー家の親族であるロバート・ジョスリン・パーマーと結婚したため、以降の彼女の男系子孫はセルボーン伯爵位の継承権を持つ。 その息子ラルフ(1951-)が現当主であり、彼は1999年貴族院法制定以降も貴族院に籍を置く92人の世襲貴族の一人である
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