クラリネット奏者としてのキャリア
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「ベルンハルト・クルーセル」の記事における「クラリネット奏者としてのキャリア」の解説
クルーセルはストックホルムでも鍛錬を続け、クラリネット独奏者となった。1792年、16歳で連隊楽団の指揮者に任ぜられ、翌1793年には宮廷楽首席クラリネット奏者となった。この楽団を率いていたのが、彼の作曲の師であるドイツの作曲家ゲオルク・ヨーゼフ・フォーグラーである。1798年、クルーセルは資金援助を受けて数ヶ月の間ベルリンに滞在することが出来るようになり、そこで有名なドイツのクラリネット奏者フランツ・タウシュ(ドイツ語版)の薫陶を受けた。タウシュはドイツでクラリネット学校を設立しており、そこで技巧よりも音色の美しさに重点を置いた教育を行っていた。クルーセルの上達は目覚しく、スウェーデンに帰国するまでにベルリンやハンブルクでの演奏会に出演した。音楽雑誌「Allgemeine musikalische Zeitung」によるハンブルクでの演奏会評は好意的なものであった。 残りの生涯をスウェーデンで過ごしたクルーセルであったが、1度だけフィンランドに戻っている。サンクトペテルブルクへの旅行の後、スウェーデンへ戻る途上の1801年7月7日ヘルシンキで、ピアニストのフレードリク・リタンデル(Fredrik Lithander)の伴奏で演奏しており、また7月30日にはトゥルクにおいてトゥルク音楽協会管弦楽団主催の演奏会でも演奏している。 クルーセルはストックホルムで、フランスの在スウェーデン大使と知り合いとなる。この友人関係をきっかけとして、彼は1803年にパリへの旅に出ることができた。パリでは演奏を行うとともに、まだ新しかったパリ音楽院でジャン=ザビエル・ルフェーヴルの下でクラリネットを学んだ。ルフェーヴルの薦めに従い、彼は6月2日にMichel Amlingue(1741年–1816年)製のマウスピース、9月14日にはジャン・ジャック・バウマン(Jean Jacques Baumann)製の6度のC管のクラリネットを購入している。クルーセルは1800年頃まで上方に曲がったリードを使用していたが、その後下方に曲がったものに変えており、これは現代と同様のよりカンタービレに適した位置取りである。彼がこれを取り入れた時点ではまだ未発達だったのは確かだが、彼は歯並びが悪く、そのため上向きのリードの取り付けを好んだのだろう。 パリのイタリア歌劇場がクルーセルに首席クラリネット奏者の職を打診した。彼が王宮管弦楽団から離れてしまうことを危惧したスウェーデン王グスタフ4世アドルフが、彼の渡航期間延長の嘆願を却下し、そのかわりに彼を近衛連隊楽団の首席指揮者の地位につけた。クルーセルはストックホルムに戻って以降、1833年まで宮廷管弦楽団にとどまった。 1811年6月には、彼はタウシュに会うためにベルリンへと赴き、そこで2人はクラリネットについて語り合った。その月の暮れにはライプツィヒに恩人を訪ね、7月にはドレスデンのハインリッヒ・グレンザー(英語版)製の新しい楽器を購入した。このグレンザーのクラリネットは当時としては先進的なデザインで、11度の演奏が可能であった。その後1822年にも彼はドレスデンを訪れ、グレンザーの店を引き継いだグレンザー・ウント・ヴィーズナー(Grenser & Wiesner)と、ボルマン(Bormann)という他の製作者から新たに楽器を購入している。ストックホルム音楽博物館(英語版)には1822年からその後に作製されたグレンザー・ウント・ヴィーズナー製の5つのクラリネットが収められている。4つは11度、残る1つは10度のものである。 クルーセルはキャリアを築いていく中で、スウェーデン、ドイツ、そしてイングランドでもクラリネットのソリストとしてよく知られるようになっていった。彼はモーツァルト、ベートーヴェン、ジャダン、クロンマー、ルブラン、ヴィンターや他の作曲家の作品を演奏した。50を超える演奏会評がありながら(大半はドイツのAllgemeine musikalische Zeitungである)、否定的な評は1つも見られない。スウェーデン新聞(Svenska Tidningen)の音楽批評家だったカール・アブラハム・マンケル(Calr Abraham Mankell 1802年-1868年)は、丸みを帯び、楽器の音域のどこを吹いても一様なクルーセルの音色を称賛していた。また、クルーセルの演奏ではピアニッシモが高く評価されていた。「彼が宮廷楽団で長年にわたり最も高給を得ていたという事実は、彼の名声を示唆するものである。」
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