クハ3660形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 10:21 UTC 版)
「東急3000系電車 (初代)」の記事における「クハ3660形」の解説
元々は大東急時代末期の1947年、小田原線(現・小田急電鉄)の焼失車デハ1158の復旧用車体として川崎車輛で製造されたものである。ところが、復旧用車体は何故か2両分が落成し、なおかつデハ1158は譲渡先の相鉄で復旧してしまった。このため2両分の復旧用車体に戦災省電サハ25形のTR10形台車を組み合わせ東横線系統用として竣工した車両がクハ3660形である。さら当時は独自に設計した車両の新造は禁止されていたため、車籍は京浜線の木造車クハ5213・5222のものを利用した。これらの車両からは改造されたことになっているが、あくまで名目上のみで部品等も流用されず、台車を除いて新品である。 車体は本来の種車であるデハ1150形と同じ15m級で、半室片運転台で前面は平妻である。デハ3300形に似た形状だが、窓の高さはデハ3500形と同様の950mmである。屋根上にはパンタグラフ台を持つがパンタグラフは搭載されていない。他のクハとは異なり、電動車として製作された名残である。 昇圧に合わせて前面・連結面貫通化、全室運転台化、室内蛍光灯取付などが行われ印象が変わったが、アルミサッシ化などは行われていない。 当初は東横線でも使用され、やがて運用範囲は全線に及んだ。数少ない上り向き制御車であることから後年は特にデハ3450形下り向き車の連結相手として重用された。田園都市線ではクハ3661が開業時から長く使用されたほか、クハ3662はクハ3850形3866に代わってこどもの国線用となり、専用カラーに塗り替えられて転用された。こどもの国線は開業当初、閑散時に両運転台車デハ3405による単行運転が行われたが、当時の所属区であった鷺沼検車区は上り方向に留置線が広がる構造であるため、開業当初使用された下り向き車クハ3866では、解放時に入換を行う必要があることから交替となったものである。 1975年の運用離脱後にクハ3661はデハ3310とともに上田交通へ貸し出され、1979年に正式譲渡された後、クハ3772と入れ替わりに1982年に廃車された。車齢がより古いデハ3310より先に廃車となったのは、3600・3700系などとともに戦後すぐの製作で、これらと同様に材質不良がその一因であったとされている。上田では終始東急グリーン塗装のままで、改番もされずにラッシュ専用車として使用された。 クハ3662は作家としても知られる乗り物好きの精神科医・斎藤茂太に引き取られ、彼の経営する東京都府中市の斎藤病院敷地内で売店として使用されたが、病院の新築工事の影響で解体された。当初はこどもの国線時代の塗装そのままだったが、末期は赤一色であったとされる(鉄道ファン 1994年7月号に、赤一色当時の写真が掲載されている。)。
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