ガレージキットと版権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 23:20 UTC 版)
「ガレージキット」の記事における「ガレージキットと版権」の解説
模型はもともと「何かを模したもの」であり、ガレージキットの原点は、商業上の理由で生産されないマイナーな作品の立体化や、あまりに似ていない玩具的な商品に対する不満などであった。そのため元イメージに近づけることは大前提であった。しかしガレージキットの出来が良ければ良いほど版権 (商品化の権利および販売専有の権利) 所有者の権利を脅かすことは明白で、ガレージキット黎明期からこの問題は付きまとった。1980年代のガンプラブーム以降、ガレージキットと版権 (著作権や著作隣接権) は、アニメーション作品や映画などに基づくキャラクターフィギュアのケースで顕著となった。 アニメのファンジンや同人誌では絵が似ていない、ストーリーが違っている、などを理由に版権元は同人活動を半ば黙認、半ば無視していた。しかし方法論として似せることが大前提であるガレージキットでは版権元の許諾なしに販売活動を行なうことは難しかった。そのためボークスや海洋堂など初期のガレージキットメーカーは版権の許諾されやすい特撮作品の立体化を行なっていた。東映や円谷プロは小規模な企業にも版権を許諾したため、仮面ライダーの怪人や円谷の怪獣などが許諾のもとで販売されていた。 しかし元々個人の趣味の範囲からスタートしたため、黎明期には既存のキャラクターをキット化したものであっても、版権元 (著作権、商品化権等の所有者) の許諾を得ないで流通しているキットもあった。1985年から始まったワンダーフェスティバルでは、そうした無版権のガレージキットときちんと契約をして販売されているガレージキットとの差異がますます浮き彫りとなった。そういった状況の中、ワンダーフェスティバル を主催するゼネラルプロダクツは、「当日版権制度」というシステムを導入した。これはイベント主催者が個々の版権元と事前に交渉することで、そのイベント当日にイベント会場内だけに限定してキットの展示・販売に関する許諾を取りつけるというものであり、危ういバランスを保ちながらも多くの版権元からある種の一定の理解を得て継続されている。 1990年代以降、ワンダーフェスティバルを中心としたガレージキット展示即売会の規模は拡大の一途をたどっていった。また造形素材の進歩、パソコン通信の発達といったガレージキットをめぐる環境の変化から、版権元も版権ビジネスを意識し始めるようになる。1997年頃から始まった塗装済みフィギュアのブームと生産拠点の国外移転によるガレージキットの低価格化もあり、版権の許諾はアマチュアに厳しくなりつつある。また、急速なインターネットの普及にともなってネットオークションで販売される会場限定キットや日本国外で複製され販売される無版権ガレージキットの増加により無版権 (海賊版) キットに対する風当たりは強くなり、版権意識の向上を促すキャンペーンが模型誌上で展開されるようになった。供給側であるディーラーだけではなく、消費側であるユーザーにも海賊版は買わないように呼びかけられている。 なお、建築物・自動車・船舶・鉄道車両・航空機などについては、「玩具としての意匠権」などの登録がない限り、模型化は原則として自由である。
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