ウェルチグレープジュースの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/09 00:47 UTC 版)
「ウェルチ (飲料)」の記事における「ウェルチグレープジュースの歴史」の解説
ぶどうジュースを殺菌して発酵を止めるという手法は、1869年にイギリス系アメリカ人の歯科医師で元牧師のトーマス・ブラムウェル・ウェルチ(1825年–1903年)によって考案された。ウェルチが信仰するウェスレー・メソジスト派(英語版)は、「酒類の製造、購入、販売、使用」に強く反対し、教会の礼拝で聖餐(コミュニオン)を行うにあたってワインの代わりに未発酵のぶどうジュースを使用することを奨励していた。この数年前、ウェルチはニュージャージー州バインランドに転居していたが、この町は1861年にフィラデルフィアの土地開拓者チャールズ・K・ランディス(英語版)(1833年–1900年)が農業と進歩的な考えからアルコールフリーのユートピアソサエティ「テンペランス・タウン」を立ち上げるために創立した町であった。ランディスは「街を建設し、その周りに農業を営み果物を生産する集落を作る予定」であると宣言しており、人口は1865年までに5,500人に到達していた。ランディスはブドウ栽培の可能性を確信し、開拓地を「バインランド(ブドウの地)」と名付け、イタリア系アメリカ人を呼び込むために広告を出し、ブドウ栽培用に開墾・使用する土地20エーカー(81,000 m2)を提供した。ウェルチはバインランドに初期から住んでいた姉妹を追って当地に転居し、当地で栽培されたブドウを使用した未発酵のワイン(ぶどうジュース)の製造を始め、「Dr. Welch's Unfermented Wine(ドクター・ウェルチの未発酵ワイン)」の名で販売した。この製品は、1893年にウェルチと息子のチャールズ・E・ウェルチ(同じく現役の歯科医師)がニューヨーク州ウェストフィールドでWelch's Grape Juice Companyとして法人設立した際に「Welch's Grape Juice(ウェルチグレープジュース)」に改名され、国際展示会で来場者に贈られた。ウェルチ社の現存する最古の建築物はニューヨーク州ウェストフィールドにあるWelch Factory Building No. 1で、1983年にアメリカ合衆国国家歴史登録財に登録された。 禁酒運動が発展するにつれ、ぶどうジュースの人気は高まっていった。1913年、国務長官ウィリアム・ジェニングス・ブライアンが正装の外交式典においてワインの代わりにぶどうジュースを振る舞ったほか、1914年には海軍長官ジョセファス・ダニエルズが海軍艦艇への酒類の持ち込みを禁止し、ぶどうジュースをその代用とすることを推奨した。第一次世界大戦中には、ウェルチ社はブドウジャム「グレープレード」を軍に供給し、積極的に宣伝活動を行った。その後、新たなブドウ製品の開発やラジオ・テレビ番組へのスポンサー提供によりウェルチ社は大きな成功を収めた。1914年からの雑誌広告には、以下の文言が書かれている。 ウェルチグレープジュースはその優秀さのみで大衆や専門家から支持を得ました。その名を製品に冠する医師が直接指示をし、完璧な製品を作り上げ販売しておりますが、その目的は当初から病からの回復と代謝に必要な栄養素を全て含んだ飲み物を作ることでした。
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