アルタイ・オーストロネシア語混合説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 04:30 UTC 版)
「日本語の起源」の記事における「アルタイ・オーストロネシア語混合説」の解説
ロシアの言語学者、エフゲニー・ポリワーノフは、特に日本語のアクセント史に関する研究を基に、日本語がオーストロネシア諸語とアルタイ系言語との混合言語であるという説を初めて提唱した。例えば、「朝」のアクセントは京都方言では a_(低)sa^(高低) という形をしているが、後半の特徴的なピッチの下降は、朝鮮語の「朝」 achΛm との比較から語末鼻音 m の痕跡と解釈される事、また「朝顔」(asagawo) のような合成語に見られる連濁現象(k からg への有声音化)も asam+kawo > asaNkawo > asagawo のような過程から生じた語末鼻音の痕跡であるとし、日本語の古形が子音終わりを許すものであったと主張した。更にポリワーノフは、日本語のピッチアクセントを、アルタイ系言語における位置固定のストレスアクセントとは根本的に異なるものと考え、その起源をフィリピン諸語に求めた。また、日本語の「真っ黒」(makkuro < ma+ku+kuro) は、接頭辞 ma を伴う形容詞 kuro の不完全重複形で、同一の形式がフィリピンやメラネシア諸語にも見られる事を指摘し、日本語は起源的に「オーストロネシア要素と大陸的なアルタイ的諸言語との混合物(アマルガム)」であると主張した。 村山七郎はポリワーノフの先駆的研究を再発見し、混合言語説を展開した。村山は元来、アルタイ比較言語学の立場から日本語系統問題を考究していたが、日本語にはアルタイ起源では説明がつかない語彙があまりに多いとオーストロネシアオーストロネシア語と日本語の比較に注目するようになった。村山によれば、いわゆる基礎語彙の約35%、文法要素の一部がオーストロネシア語起源であり、このような深い浸透は借用と言えるレベルを超えたもので、日本語はアルタイ系言語とオーストロネシア語の混合言語であると主張した(1973年-1988年)。この見解は、オーストロネシア言語学の崎山理や板橋義三に継承されている。 現在、主流の見解は[要出典]、オーストロネシア語を基層とし、アルタイ系言語が上層として重なって日本語が形成されたとするものだが、安本美典や川本崇雄(1990年)は、逆にアルタイ系言語が基層でオーストロネシア語が上層言語であったと主張する。アルタイ単独起源説を主張するS. スタロスティン(2002年)ですら、オーストロネシア語の基礎語彙への浸透を認めていることから分かるように、古代日本語の形成にオーストロネシア語が重要な役割を演じたことについては、多くの論者が同意している。しかし、それを単なる借用とみなすのか、系統関係の証拠と見るかについてはまだ合意に至っていない。 マルティン・ロベーツ(2017年)は、日本語族は紀元前6千年紀の遼西興隆窪文化を原郷とする「トランスユーラシア語族」(モンゴル語族、チュルク語族、ツングース語族、日本語族、朝鮮語族から成る語族)に起源を持ち雑穀栽培を行う集団であったが、「日本・朝鮮語派」に分岐して遼東半島に至った後、紀元前2-3千年紀に山東半島に分布した稲作を行うオーストロネシア祖語の姉妹語と接触することで主に農業関連の語彙を大量に借用し、その後朝鮮半島を南下し紀元前1千年紀に日本列島に入ったとしている。
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