アイデンティティの再創出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 08:11 UTC 版)
「パティダール」の記事における「アイデンティティの再創出」の解説
村落全体で土地を保有する仕組みの中で利用権が与えられた土地は「パティ (pati)」、利用権をもつ者は「パティダール (patidar)」と称されていた。19世紀の間、クンビたちは徐々に「パティダール」を自称するようになってゆき、土地の所有権と結びつける形で高い社会的地位にあることを強調するようになった。また、彼らの共同体は、姓として「パテール (Patel)」を称するようになっていったが、これは伝統的には村落の指導者に用いられたものであった。 彼らの共同体はまた、自分たちをヒンドゥー教の文脈の中で再定義し始めた。クシャトリヤの地位を求めるだけでなく、宗教儀礼の純化を進め、菜食主義や、母親をかたどった女神たちではなくクリシュナへの信仰を尊び、当時普及していた花婿側が花嫁側に金銭を支払う花嫁対価(英語版)制度によらず、花嫁側が花婿側に金銭を支払うダウリー(結婚持参金)制度を採った。彼らは地元の習慣の保存も進め、バラモン風のサンスクリット語の歌詞によるのではなく、より身近な日常語の歌詞で祈祷の歌を歌った。 パティダールたちが実践していた上昇婚、すなわち、女性が出身階層よりも地位の高い階層の家に嫁ぐ習慣は、コリ人たちのものとは異なり、比較的狭い地域内で、またマティダールの共同体内の境界を越えて行われていたが、コリ人女性たちの場合はラージプートの男性との結婚を求めて広い範囲へと散らばっていた。パティダールの仕組みは、複数の対等な関係の村落の間で「ゴル (gol)」と呼ばれる族内婚的な結婚サークルを生むことになり、族内の絆をさらに強化することとなった。同時に、この仕組みは、比較的貧しいサークルの女性が、数が限られる比較的裕福なパティダールの家族へ嫁入りする上昇婚を可能にするものであり、裕福な一家の側はこれを実践していないと十分に適切な嫁を得られなかったとして威信が薄まっていく。グジャラート州における結婚事情は、こうしたジェンダー非対称性のためもあって、近年では厳しいものになっており、2010年代にはインド国内の他の地域のパティダールの共同体にグジャラート州のパティダールとの縁組が呼びかけられたり、クルミ(英語版)とパティダールの結婚が奨励されたりしている。クルミとの結婚が受け入れられるのは、何世紀も前にはこの二つのカーストが同じ起源をもっていたとする信仰に基づくものである。現時点では、実際に結婚に至っている事例はごく少数だと報じられているが、これは他のカースト出身者との結婚、州外の他所者との結婚という意味で、重要な伝統からの決別である。このような結婚は、新たな事業場の結びつきを生むことになるとも主張されている。 イギリス領インド帝国の行政当局が、初めてパティダールに独自のカーストとしての地位を認めたのは、1931年の国勢調査であった。 一方で、20世紀末に下位カースト出身者に大学入学や公的機関における雇用で一定の優先的処遇を与えるその他後進諸階級(英語版) (OBC) の制度が広まると、自分たちをOBCに位置付けるよう求めるパティダールたちの運動も起こり、2015年には州政府に対する大規模な、一説には50万人規模ともいわれるデモがおこなわれ、それが暴動に発展して死者も出る事態となった。
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