まちづくりワークショップの成立経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 00:23 UTC 版)
「ワークショップ」の記事における「まちづくりワークショップの成立経緯」の解説
まちづくり分野においては、地域にかかわるさまざまな立場の人々が自ら参加して、地域社会の課題を解決するための改善計画を立てたり、進めていく共同作業とその総称。具体的には公園づくりや道づくり、公共施設の計画、団地やコーポラティブハウスなどの住まい計画、市町村の都心マスタープランの策定など多岐にわたる。住民参加型(参加のデザイン、住民参加、市民参加)の活動形態の一つ。 企業研修や住民参加型まちづくりにおける合意形成の手法として、住民が中心になって地域の課題を解決しようとする場合に、ワークショップの手法がよく用いられる。まちづくりにおいて、地域にかかわるさまざまな立場の人々が自ら参加して、地域社会の課題を解決するための改善計画を立てたり、進めていく共同作業とその総称として近年用いられていった。公園づくりや道づくり、公共施設の計画、団地やコーポラティブハウスなどの住まい計画、市町村の都市マスタープランの策定など多岐にわたる。住民参加型の活動形態の一つとして位置づけられる。 主に都市計画やまちづくりの分野でワークショップが取り入れられるようになったのは、1960年代に環境デザイナー、ランドスケープアーキテクトであるローレンス・ハルプリンが、夫人のダンスワークを参考に、テイクパート・プロセスとしてワークショップを用いたことがはじまりである。 日本においては、1979年に日本に紹介され、藤本信義、木下勇らのグループが取り入れたことで日本のまちづくりにおける技法として開発されるようになった。なお、ワークショップをまちづくりにおいて活用された事例は東京都世田谷区が取り入れたのが初見である。 同区におけるワークショップは住民主体の勉強会に起因している。1970年代後半に世田谷区の太子堂地区においてマンション紛争が起こり、世田谷区の主催で区民向けのまちづくり懇談会が開かれることとなった。懇談会では区民から紛争をめぐる世田谷区の施策を批判が相次いだが、懇談会設置後、1年を経て懇談会に参加した区民の中に「批判だけでは問題解決しない」「行政と対等に話し合うには住民側にもそれなりの専門知識が必要」であるという意識が広がり、1982年に懇談会メンバーの住民を中心としたまちづくり協議会設立準備会が創設され、住民主体のまちづくりの実現を目指した地域住民組織づくりに向けた活動が開始されるようになった。このまちづくり協議会準備会が行政との対話の推進を目指す中で行ったのが、「まち歩き」「まち点検」などの活動や勉強会の開催であり、その活動が次第にプログラム化されていく中で、まちづくりワークショップとして定着するようになった。 その具体例が地域の公園づくりを目的としたワークショップで、後にパークショップの造語を以って称されることとなった。次第に世田谷区太子堂地区ではまちづくりワークショップの対象範囲を拡げ、「老後の住み続けられるまちづくり」、「ゴミゼロ社会を目指すまちづくり」、「地域に開かれた消防署づくり」をテーマにワークショップが開かれ、実際に区民管理による公園づくりを実現させた他、東京消防庁の消防署建設に意見が反映されるなどの実績を挙げた。これが、全国においても住民参加の先駆けとして専門家などから注目されるようになった。まちづくりワークショップは、川喜田二郎の開発したKJ法の手法を取り入れることで、さらに住民の合意形成技術としての性格を強め、今日ではまちづくりにおける合意形成技法として注目されている。
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