さまぁ〜ず・くりぃむしちゅーの改名企画
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「ウンナンの気分は上々。」の記事における「さまぁ〜ず・くりぃむしちゅーの改名企画」の解説
きっかけは俳句を詠む企画の秋編にバカルディが、冬編に海砂利水魚が出演したことから始まる。バカルディは自らが売れないことをネタにした自虐的な句を披露したのに対し、海砂利水魚は難易度の高い折句を披露し、しまいにはバカルディを挑発する句を詠んだ。ここからバカルディと海砂利水魚の負けたら改名しなければならない対決企画が生まれた。 第1戦(2000年5月26日放送) 芸能界引退を賭けて卓球対決。バカルディが見事勝利したものの、内村らに「何で勝っちゃったの?」「空気が読めない」と言われ、負け扱いとなる。試合後「引退か保留か」と聞かれ、保留を選ぶ。ちなみに、この対決シリーズの発端となった第1戦の卓球対決は、当初潮干狩りをする予定だったが雨で屋外ロケーションが不可能となったため、代替企画として屋内で急遽行なわれたものである。 第2戦(2000年8月11日放送) リベンジマッチとしてPK対決を挑むが、サドンデスの末バカルディが惜敗。 第3戦(2000年10月20日放送) 陸上競技対決(三段跳び・重量挙げ・二人三脚パン食い競走)でバカルディが敗れ、半年間の期限付きで「さまぁ〜ず」に改名。 第4戦(2001年3月30日、4月6日放送) 「さよなら バカルディ」と題した生放送での卓球対決。放送時間内に決着が付かず、次の週に試合の続き(録画)が放送された。疑惑の判定は翌週に持ち越され、スーパースロー判定によりさまぁ〜ずが敗北。改名期限を同年9月末までの半年間延長。 第5戦(2001年9月28日放送) ビーチバレー対決で海砂利水魚が敗れ、「くりぃむしちゅー」に改名。 10年振りの因縁SP(2010年12月21日放送・復活 10万円の旅SP内で放送) 「さまぁ〜ずVSくりぃむしちゅーVSウンナン 因縁の対決再び」と題して10年振りにさまぁ〜ずとくりぃむしちゅーの対決が復活。それにウンナンも加わり3組のスポーツ対決を行った。全3種目行い最下位だったくりぃむしちゅーは、罰ゲームとして後片付けを2人きりで行った。 「さまぁ〜ず」「くりぃむしちゅー」どちらも内村が命名。「さまぁ〜ず」というコンビ名を思いついたのは有田である。「さまぁ〜ず」の由来は、2人とも好きな季節が夏だから。一方「くりぃむしちゅー」は、内村が対決直前の移動中に有田に好物が何であるかを尋ねた際にクリームシチューと答えた事から名付けられた。上田はその後しばらくの間、他の番組でも「俺はそんなに好きじゃないからな!クリームシチューは」と言っていた。クリームシチューの他に学生時代にラグビーをやっていたという事で「ザ・トライ」が候補にあった。 当初改名は期間限定の企画であったが、ビーチバレー対決の頃になると「さまぁ〜ず」の名で徐々に人気が上がってきたこともあり元に戻す必要性がなくなってしまったため、有田の提案で負けたら個人の芸名をそれぞれ「ビーチ三村」と「大竹すいか割り」にする予定になった(結果は海砂利が負け、幻の芸名となった)。
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