えびの市立飯野小学校とは? わかりやすく解説

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えびの市立飯野小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/27 06:45 UTC 版)

えびの市立飯野小学校
北緯32度02分50.1秒 東経130度51分56.8秒 / 北緯32.047250度 東経130.865778度 / 32.047250; 130.865778座標: 北緯32度02分50.1秒 東経130度51分56.8秒 / 北緯32.047250度 東経130.865778度 / 32.047250; 130.865778
過去の名称 第二十九郷校
第八十五番小学校
飯野小学校
簡易飯野小学校
尋常飯野小学校
飯野尋常小学校
飯野尋常高等小学校
飯野町飯野国民学校
飯野町立飯野小学校
えびの町立飯野小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 えびの市
併合学校 鉄山分校
大平分校
高野分校
えびの市立大河平小学校
設立年月日 1872年明治5年)
小中高一貫教育 【連携型】
えびの市立飯野中学校
宮崎県立飯野高等学校
学期 2期制
学校コード B145220914500
所在地 889-4301
宮崎県えびの市大字原田110番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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えびの市立飯野小学校(えびのしりつ いいのしょうがっこう)は、宮崎県えびの市大字原田にある公立小学校

概要

歴史
学制の頒布された1872年明治5年)に創立。現校名となったのは1970年(昭和45年)。2022年令和4年)に創立150周年を迎えた。
校章
中央に校名の略称である「飯小」の文字(縦書き)を配している。
校歌
作詞は黒木清次、作曲は海老原直による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「飯野小学校」が登場する。
通学区域
えびの市のうち、「堀浦、上大河平、下大河平、杉水流、五日市、東原田、麓、町、坂元、前田、苧畑、大明司、山内(鳥越、後川内班)、上上江(旭第1、旭第2、上駅西、宮前、下駅西、野中田、泉、宮廻、田の上、掘之内、古城の各班)、駅前、中原田、上原田、南原田、片馬場、高野」。
中学校区はえびの市立飯野中学校[1]

沿革

前史
  • 1867年慶応3年)- 幻生寺(字内切原、現・えびの市役所飯野出張所の北西)の客殿に「聖明館」(成銘館)と称する学舎が開設される。
正史
  • 1872年(明治5年)- (学制が頒布される。)旧地頭仮屋を校舎として「第二十九郷校」が開設される。(創立年
  • 1873年(明治6年)- 「第八十五番小学校」となり、間もなく「飯野小学校」と称する。
  • 1876年(明治9年)- 在籍児童数が150名となる。
  • 1877年(明治10年)- 西南の役により、校舎が全焼。
  • 1878年(明治11年)- 旧校舎跡に新校舎が完成。
  • 1886年(明治19年)- 小学校令施行により、簡易科(3年制)を設置の上、「簡易飯野小学校」と称する。
  • 1888年(明治21年)- 児童数増加により、木造校舎1棟を新築。
  • 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により、西諸県郡10村(原田、大河平、杉水流、前田、坂元、大明司、末永、上江、今西、池島)が合併の上、「飯野村」が発足。
  • 1890年(明治23年)- 尋常科(4年制)を設置の上、「尋常飯野小学校」に改称。
  • 1892年(明治25年)
    • この年 - 「飯野尋常小学校」に改称。
    • 11月 - 初めて修学旅行を実施。高野越えで熊本県人吉2泊という内容であった。
  • 1893年(明治26年)8月1日 - 高等科(4年制)を併置の上、「飯野尋常高等小学校」(尋常科4年・高等科4年)に改称。
  • 1896年(明治29年)5月 - 現在地に校舎を新築の上、移転を完了。この日を開校記念日と制定する。
  • 1906年(明治39年)- 飯野村立実業補習学校が附設される。
  • 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育年限)が4年制から6年制に改められる。これにより、旧高等科1年を尋常科5年に、旧高等科2年を尋常科6年に、旧高等科3年を高等科1年に、旧高等科4年を高等科2年に改める。収容児童数の増加に伴い、校舎を増築。
  • 1912年(明治45年)- 大講堂が完成。
  • 1915年大正4年)- 飯野女子技芸学校を併設。
  • 1920年(大正9年)- 学校図書館を創立(開館は翌1921年(大正10年)3月)。
  • 1922年(大正11年)- 木造2階建て6教室が完成。
  • 1925年(大正14年)- 飯野・上江・大河平農業補習学校を統合の上、「飯野農業補習学校」を開設。
  • 1935年(昭和10年)- 青年学校令施行により、飯野青年学校が併置される。
  • 1940年(昭和15年)4月3日 - 町制施行により、飯野町が発足。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「飯野町飯野国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
  • 1947年(昭和22年) - 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
    • 4月1日 - 飯野国民学校初等科は、新制小学校「飯野町立飯野小学校」に改組・改称。鉄山営林集落の児童を対象に鉄山分校を設置。
    • 4月30日 - 飯野国民学校高等科と飯野青年学校普通科が統合の上、新制中学校飯野町立飯野中学校」として設置が認可される。
    • 5月8日 - 飯野中学校の開校式および入学式が飯野小学校校舎で行われる。小学校校舎の一部を中学校へ貸与。
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 飯野青年学校が廃止され、校舎を飯野中学校が継承したため、中学校との併設を解消。
  • 1954年(昭和29年)- 大平分校[2]と高野分校を設置。
  • 1964年(昭和39年)
    • 4月1日 - 鉄山分校を閉校。
    • 4月13日 - 飯野町学校給食センターによる完全給食を開始。
  • 1965年(昭和40年)3月 - 大平分校[2]を閉校。
  • 1966年(昭和41年)11月3日 - 3町合併により、「えびの町立飯野小学校」と改称。
  • 1968年(昭和43年)2月21日 - えびの地震が発生。
  • 1970年(昭和45年)2月21日 - 市制施行により、「えびの市立飯野小学校」(現校名)に改称。
  • 1983年(昭和58年)2月20日 - 創立110周年記念碑を建立。
  • 2005年(平成17年)4月 - 高野分校を休校とする。
  • 2008年(平成20年)4月 - えびの市立飯野中学校、宮崎県立飯野高等学校とともに、小中高一貫教育実践モデル校として指定を受ける。
  • 2009年(平成21年)3月 - 高野分校を廃止。高野分校の最終所在地は宮崎県えびの市大字坂元1666番地。
  • 2015年(平成27年)4月 - えびの市立大河平小学校を統合。
  • 2018年(平成30年)2月21日 - えびの地震から50年の節目に、えびの市小中一斉避難訓練を実施。
旧・大河平小学校(おこびら)
  • 1874年(明治7年)- 「第八十六番小学校」が開設される。大河平本屋敷に校舎を建設。
  • 1877年(明治10年)- 西南の役により、校舎を焼失。
  • 1879年(明治12年)- 字平木場に校舎が完成。
  • 1886年(明治19年)- 小学校令施行により、簡易科(3年制)を設置の上、「簡易大河平小学校」に改称。飯野小学校下大河平分校(字川上)を統合。
  • 1890年(明治23年)- 尋常科(4年制)を設置の上、「尋常大河平小学校」に改称。
  • 1891年(明治24年)- 下大河平地区が飯野小学校の校区となり、再び上大河平字平木場に移転。
  • 1892年(明治25年)- 「大河平尋常小学校」に改称。
  • 1901年(明治34年)5月 - 最終所在地に校舎が完成し、移転を完了。
  • 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育年限)が4年制から6年制に改められる。尋常科5年を新設。
  • 1909年(明治42年)
    • 4月 - 尋常科6年を新設。
    • 7月 - 収容児童数増加により、木造校舎を増築。
  • 1910年(明治43年)
    • 5月 - 東洋製材会社より、同社が継続する間、毎年一定の金額の寄付をしたいと申し出がある。
    • 11月3日 - 天長節英国人のヘンリー・バージャー(東洋製材会社の支店長)が出席。
    • 9月 - 女子の補習機関が設置される。
  • 1911年(明治44年)- 前述のように、東洋製材会社より寄付を受ける。
  • 1912年(大正元年)12月 - 大河平農業補習学校が併置される。
  • 1921年(大正10年)3月 - 校旗を制定。
  • 1923年(大正12年)5月 - 北校舎2教室を増築。
  • 1924年(大正13年)- 吉牟田分校を設置。
  • 1940年(昭和15年)4月3日 - 町制施行により、飯野町が発足。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「飯野町大河平国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
  • 実施年月日不明 - 高等科を設置。
  • 1947年(昭和22年)
    • 4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、新制小学校「飯野町立大河平小学校」に改称。
    • 5月8日 - 新制中学校「飯野町立大河平中学校」を併置。
  • 1966年(昭和41年)11月3日 - 3町合併により、「えびの町立大河平小学校」と改称。
  • 1969年(昭和44年)3月31日 - えびの町立大河平中学校の閉校により、中学校区がえびの町立飯野中学校に変更となる。
  • 1970年(昭和45年)2月21日 - 市制施行により、「えびの市立大河平小学校」(最終名)に改称。
  • 1974年(昭和49年)- 創立100周年記念式典を挙行。
  • 1979年(昭和54年)3月31日 - 吉牟田分校を閉校。
  • 2008年(平成20年)4月1日 - 休校となる。
  • 2015年(平成27年)3月31日 - えびの市立飯野小学校への統合により、閉校。
    • 最終所在地 - 宮崎県えびの市大字大河平2575番地

交通

最寄りの幹線道路
最寄りのバス停留所
最寄りの幹線道路

周辺

脚注

  1. ^ えびの市立小中学校の通学区域に関する基準 - えびの市ウェブサイト
  2. ^ a b 所在地は熊本県錦町川内川上流域にあった林業集落向けの分校)。「錦町、飯野町行政事務委託に関する規約(1965年4月1日施行)」や「木上村、飯野町教育事務の委託に関する規約(1954年3月公表)」に基づき当時の宮崎県飯野町が学校を設置していた。

関連項目

外部リンク




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