『二つの文化と科学革命』
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「チャールズ・パーシー・スノー」の記事における「『二つの文化と科学革命』」の解説
1959年5月7日、スノーはケンブリッジ大学で「二つの文化(The Two Cultures)」 と呼ばれる講演 (Rede Lecture) を行い、これが「広く白熱した議論」を巻き起こした。後に『二つの文化と科学革命(The Two Cultures and Scientific Revolution)』として出版された同講演では、現代社会の「二つの文化」である自然科学と人文科学とのコミュニケーション崩壊が、世界の問題解決の大きな障害になっていると主張した。特にスノーは、世界の教育の質が低下していると主張して、次のように記している。 私はよく(伝統文化のレベルからいって)教育の高い人たちの会合に出席したが、彼らは科学者の無学について不信を表明することにたいへん趣味をもっていた。どうにもこらえきれなくなった私は、彼らのうち何人が、熱力学の第二法則について説明できるかを訊ねた。答えは冷ややかなものであり、否定的でもあった。私は「あなたはシェイクスピアの作品を何か読んだことがあるか」というのと同等な科学上の質問をしたわけである。 もっと簡単な質問「質量、あるいは加速度とは何か」(これは、「君はものを読むことができるか」というのと同等な科学上の質問である)をしたら、私が彼らと同じことばを語っていると感じた人は、その教養の高い人びとの十人中の一人ほどもいなかっただろうと、現在思っている。このように現代の物理学の偉大な体系は進んでいて、西欧のもっとも賢明な人びとの多くは物理学にたいしていわば新石器時代の祖先なみの洞察しかもっていないのである。 風刺家のフランダース・アンド・スワンは、ここで引用した冒頭箇所を自分達の短いモノローグや風刺歌「First and Second Law」の元ネタとして使った。 1959年に発表されたスノーの講義は、ビクトリア朝時代より自然科学教育を犠牲にして人文科学(特にラテン語とギリシャ語)に過剰な報酬を与えたとして、とりわけ英国の教育体系を非難するものだった。彼は実際のところ、このことが英国上流階級(政治、行政、産業における)による現代の科学界を管理するための十分な準備を奪ったのだと確信していた。対照的に、ドイツとアメリカの学校は市民に自然科学と人文科学を平等に教えようとしており、より優れた自然科学の教育によってそれらの国は科学時代にもっと効率的な競争ができるようになった、とスノーは述べた。「2つの文化」以降の議論では、英国の体系(学校教育と社会階級)と競合国の体系との違いにおけるスノーの初期の焦点をあいまいにする傾向が見られた。
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