『亀甲獣骨文字』の刊行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 01:59 UTC 版)
その後、甲骨は次第に日本へ伝来し、林をはじめ三井家・河井荃廬・中村不折などの諸家が所蔵するようになった。1917年(大正6年)、林はこれら諸家所蔵の甲骨のうちから1023片 を選択して拓本を作り、巻末に抄釈を付して『亀甲獣骨文字』2巻を河井荃廬とともに刊行した。拓本は村田蔚堂、釈文の筆は蠣崎大華で、ともに河井門下の協力によった。この『亀甲獣骨文字』は日本における甲骨学創始期の著名な一書で、林は日本の甲骨学の先駆者となったのである。
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