『九陽真経』の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/08 08:03 UTC 版)
射鵰三部作での登場は『神鵰剣俠』の終盤。『九陽真経』の持ち主である少林僧・覚遠が華山を訪れたシーン。しかし、『九陽真経』の原本はこの直後に紛失し、およそ90年に渡って姿を消す。ただし内容については、覚遠が全部暗記していたのだが、覚遠は『九陽真経』を単なる健康維持のための体操という程度に考えていたため、真剣に探すとか、写しを作るなどの措置に出ていなかった。 その数年後、『倚天屠龍記』の冒頭において『九陽真経』を唱える覚遠から、郭襄、張三丰、無色禅師がそれぞれ不完全ながら『九陽真経』を会得。それぞれ理解度に差があったため、各流派で特色がでた。 少林寺の無色禅師は三人の中で最も武術に優れていたためその高きを得、のちに峨嵋派の開祖となる郭襄は武術以外の学問について広い知識があったためその広きを得、最年少であった張三丰はその純なるを得、武当派の開祖となった。 このさらに数十年後、『倚天屠龍記』の主人公、張無忌は崑崙で偶然にも『九陽真経』を発見。5年の歳月を掛けて修行をした。ただし、張無忌は内容をすべて暗記し、自分の修行が終わると、『毒経』、『医経』などの書物とともに『九陽真経』を埋めてしまった。
※この「『九陽真経』の変遷」の解説は、「九陽真経」の解説の一部です。
「『九陽真経』の変遷」を含む「九陽真経」の記事については、「九陽真経」の概要を参照ください。
- 『九陽真経』の変遷のページへのリンク