『キャッチ=22』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 06:07 UTC 版)
「ジョセフ・ヘラー」の記事における「『キャッチ=22』」の解説
1953年のある朝、ヘラーは家で座っている時に着想を得た。「それは一目惚れだった。最初に彼が牧師を見たとき、誰かが彼に狂おしい恋に落ちた。」翌日のうちに、ヘラーはその話の構想を描き始め、出だしが上の文章になり、登場人物と粗筋、およびその話が最終的に取ることになる調子や形態を決めていった。1週間の内に第1章を仕上げ、それを代理人に送った。翌年は話の残りのプランを練っていたが、何も書かなかった。1955年、最初の章は「ニュー・ワールド・ライティング」第7号に『キャッチ=18』として出版された。 ヘラーは当初、この小説が中篇の域を出ないと考えていたが、粗筋に十分な内容を付け加えることができて、最初の長編小説にできると感じた。ヘラーがこの小説の3分の1を書き終えたとき、代理人のカンディダ・ドナディオは幾つかの出版社にその小説を送りつけ始めた。ヘラーはその作品に特に執心だった訳ではなかったので、もし出版社が興味を持たなければ完成させなくても良いと決めていた。この作品は決して拒絶されることはなく、直ぐにサイモン・アンド・シャスター社に購入され、750ドルを支払ったうえに、作品が完成したときにはさらに750ドルを支払うと約束した。ヘラーは原稿の締め切りに4,5年も遅れたが、執筆に全部で8年を要し、出版社に手渡した。 完成した小説ではアメリカ陸軍航空隊ジョン・ヨッサリアン大尉の戦時の経験を叙述していた。ヨッサリアンは出撃を避けるために様々な策略を考案するが、軍の作戦担当者はいつも彼を出撃させる方法を見つけてしまう。「私の本の中の誰もが他の全ての者を気違いと糾弾する。率直に言って、私は社会全体がおかしくなっていると思う...問題は狂気の社会の中で正気の男は何をするかだ。」とヘラーは述べた。 出版の直前に小説の表題は『キャッチ=22』に変えられた。これはレオン・ユリスの新しい小説『ミーラ街18番地』との混同を避けるためだった。『キャッチ=22』は1961年にハードカバーで出版されて、肯定否定両面のある批評を受け、シカゴ・サンタイムズは「ここ数年ではアメリカで最高の小説」という評価をした一方で、他の批評家は「無秩序で読むに耐えず、粗野だ」と冷笑した。出版した年にアメリカ国内で売れたのは3万部に過ぎなかった。イギリスでの反応は全く異なり、発売から1週間でベストセラーリストの1位になった。しかし、1962年10月にペーパーバックで出版すると、小説の反戦感情に共感したベビーブーマー世代の想像力を掴んだ。アメリカ国内で1千万部が売れた。小説の表題は行き所の無いジレンマを表すバズワードになった。今日では古典の部類に入っており、「モダーン・ライブラリー」の今世紀の小説トップ100のリストでは第7位にランクされている。アメリカ空軍士官学校では、この小説を「見込みの有る士官がお役所仕事の非人間的な側面を認識する手助け」のために使っている。 この小説の映画化権も1962年に売れ、印税とも併せてヘラーは百万長者になった。アメリカ国内で1千万部以上を売り上げている。映画はオーソン・ウェルズを起用して撮影されたが、公開は1970年のことだった。
※この「『キャッチ=22』」の解説は、「ジョセフ・ヘラー」の解説の一部です。
「『キャッチ=22』」を含む「ジョセフ・ヘラー」の記事については、「ジョセフ・ヘラー」の概要を参照ください。
- 『キャッチ=22』のページへのリンク