「DJ社長」が誕生するまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 22:30 UTC 版)
「Repezen Foxx」の記事における「「DJ社長」が誕生するまで」の解説
DJ社長こと木元駿之介は高校時代に「社長になろう」と決心し、駒澤大学経営学部に進学する。東京では様々な業種の社長に話を聞いていたが、「会社を建てて色々仕事を始めるには500万必要」と悟る。人脈を作るために色んなパーティに参加していたが、そんな中「パーティを開催して会社を作るための資金を稼ぐ」ことを思い付き、50人規模のパーティを毎週のように開くようになった。 その内に50人規模のイベントでは金が貯まらないと考え、300人規模の会場を予約してパーティを企画する。渋谷の街頭や色々な大学で集客を行うが、結果50人しか来ず赤字となり、貯金をすべて会場費に充てる羽目になる。再度同規模の会場でリベンジを試みるも、客は100人ほどでまた赤字となり借金することになる。その後何度も集客を繰り返すうちに呼べる人数は次第に増えていったものの、予約する会場の規模もより大きくなっていったために結局すべて赤字となる。その度に会場費を払うために借金を繰り返した結果、水道光熱費も家賃も払えなくなり一人暮らししていた家を追い出され、友人宅に居候する日々を送る。「次こそは本気でやってやる」と決意を固め、必死に試行錯誤したという。 リベンジのためZepp Divercityでイベントを開催し、2500人を呼ぶことに成功。借金も返済する。その3か月後にはSTUDIO COASTでイベントを開催し3500人を集める。この2回のイベントで500万円の黒字となり、会社を建てるべく福岡に帰る。 帰郷してからは地元の友人や後輩を誘い、2013年8月29日、21歳の誕生日に社員6人で株式会社『PARIST』を起業。家賃5万円の部屋を事務所として借りた。また、開業資金500万円のうち300万円を使ってバー「Paris」もオープンさせる。 福岡でイベント団体「博多Life」を設立し、色々な大学に立ちスタッフを集め、2000人規模のイベントを企画する。当時の福岡では500人も集客すれば「九州最大のイベント」と呼ばれており、快く思わない地元のイベント業界の人々から様々な嫌がらせを受けたが意に介さず集客を続け、イベント当日には2500人が集まった(定員オーバーのため入場規制が掛かるほどだった)。その後は毎月1000~2000人規模のイベントを開催し立て続けに成功させる(その中にはZepp FUKUOKAや海での野外フェスもあった)。成功を続けるうちに博多Lifeのスタッフが次々と独立して新団体を作っていき、銀太や脇もその一人だった(ふぉいは客として遊んでいたという)。福岡のみならず熊本、鹿児島、大阪、名古屋、東京にも独立団体ができ、最終的に博多Lifeは全国各地に独立団体37個、本体だけでも250人のスタッフを抱える巨大組織となった。 木元は九州最大のイベント団体のトップになったが、程なくして詐欺被害に遭い、手元にあった現金1000万円以上を全て失う。大勢の部下を抱えているため安直にお金が無いことを口外するわけにもいかず、金策を得るため上京。交通費すら無かったため移動手段はヒッチハイクだった。頼れる限りの人脈を全て使い金を借りるも、その中でまた詐欺に遭い更に金を失ったりした。追い詰められていく内に又借りを繰り返し借金地獄に陥り、2000万~3000万円の負債を背負うこととなる。 そのような中で「借金を返すために借金してもダメだ、ちゃんと稼いだお金で払わないと」と考え、大金を稼ぐために巨大なイベントを開催すること、そのために金を借りることを決める。やっと借りれた時には既に5000~6000万円の借金を背負っていた。しかし、その資金を使い背水の陣で臨んだ2014年10月25日の福岡国際センターでのイベントは定員1万人に対して4000人しか来ず結果として失敗に終わり、当初の借金が倍になったという。 イベント終了後しばらく落ち込んでいたが、一週間後の2014年11月2日から11月3日にかけて同い年のきゃりーぱみゅぱみゅが定員数の多いマリンメッセ福岡を満杯にしたのを知り、「俺も有名人になろう」と思い立つ。唯一趣味でDJをやっていたことと一人でもできることから「DJで成り上がるしかない」と考え、木元は本格的に「DJ社長」として活動を始める。「趣味」とはいえ、以前から自らのイベントに「DJ社長」として出演したり、リミックス音源をSoundCloudにアップロードしたりしていた。
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