「封建農奴からの解放」
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「チベット問題」の記事における「「封建農奴からの解放」」の解説
「旧チベット」の身分制をどのように認識するかについても、議論となっている。チベットを2分していた僧俗の社会のうち、厳格な身分制にもとづく俗人の社会と、出身身分をとわず個人の能力によって社会的上昇を果たすルートが開けていた出家者の社会。 俗人社会では、貴族・領主制度のもとにあった平民たちを「奴隷」と規定する説、「農奴」と規定する説、その種の規定に反論する主張などがある。 中国政府は『旧チベットは封建農奴制であり、人口の5%足らずの官僚や貴族、寺院の上層僧侶らが農奴主となり、チベットのほとんど全ての耕地や牧場と大部分の家畜を所有していた。農奴は旧チベットの人口の90%以上を占めていた。農奴主は、労役や高利貸し付けを通じて、農奴に対する苛酷な搾取を行い、農奴主は成文法と慣習法に基づき、監獄や私牢を作った。』として農奴解放を行ったとしてチベットの併合を正当化し、「1951年の時点ではまだほとんどのチベット人が農奴であり、また、1913年から1959年の自治の間、チベット政府はチベット発展の阻止を宣言しており、中華人民共和国政府の提案した『近代化努力』のすべてに反対した」と主張している。 1960年頃にチベット動乱を鎮圧し、チベット全土を制圧した中国政府は、1963年に映画『農奴』(李俊監督)を製作する。ストーリーは、ラマ僧侶と領主に搾取され続けた主人公の農奴が人民解放軍に救助されるもので、1965年、日本で公開されたが、これは65年当時までに日本で公開された唯一のチベットについての映画であった。この映画はモンタージュ技法を駆使し、映画研究者に高く評価された。2011年に中国共産党が制定した「チベット100万農奴解放記念日」である3月28日に、チベット電視台衛星チャンネルでこの映画が放映されたのを見て、チベット人の詩人・作家のオーセルは、「“解放者、大恩人”を気取りながらもチベットをゆっくり丸のみしようとする」「“赤い悪魔”(中国共産党)に強力に洗脳されていた幼少時代に戻ったような気がした」と語り、この映画を中国共産党によるプロパガンダ映画として批判している。 チベット亡命政府の日本代表を務めたペマ・ギャルポは、チベットの多くの地域は遊牧生活の地であり、中国政府の主張するような意味での「農奴制」が果たして存在していたかと批判した[出典無効]。なお、人類学者ゴールドスタインらによればチベットの人口の一部は農奴であったともいわれる。当時のチベットの状況は、20世紀前中期にガンデンポタン統治下のチベットに留学した河口慧海・木村肥佐生、西川一三などによって書かれている。『農奴』の主演俳優ワントイも、20歳で逃亡するまで農奴であったという。ペマ・ギャルポは、当時のチベットに身分制や貧富の差があったことは事実であるが、それは歴史的にどの国でも珍しくなく、中国でも貧富の差は解消されていないどころか、格差は激化している、としているし、「農奴」についても中国や西欧でも存在したし、そのことをもって中国によるチベット併合を正当化することはできないと反論している。 そもそもチベットに農奴制が成立するような環境ではなかった。 第一、チベットのかなりの広範な地域では遊牧を行っていて転々と移住する人するので「農奴制」が成立するような環境ではなかった。「農奴制」という言葉自体が中国政府がチベット解放を正当化するために用いている言葉に過ぎないのではないでしょうか?でも確かに僧侶や王侯、豪族、貴族は存在し、それによってラサなどの都市では上に納めることもあったが、それは歴史的に中国でもヨーロッパでもあった。
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