「対馬島の日」制定の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 05:36 UTC 版)
「対馬島の日」の記事における「「対馬島の日」制定の背景」の解説
竹島に関して、韓国は一方的に警備隊を上陸させ施設の構築を行ったり、竹島海域での軍事演習を行うなど、実効支配を強化する方策をたびたび実行してきた。日本政府もそのたびに韓国政府への抗議を発表し、竹島の領有権を継続的に主張してきた。しかし、日本側がこのような領有権の主張を行うたびに、韓国ではキジ科の鳥(日本の国鳥はキジである)を惨殺したり、日の丸や時の首相の肖像を燃やしたりするなど、日本に対する抗議行動が巻き起こった。 2005年2月22日、こうした問題への認知を求めるため、竹島を管轄する日本側の都道府県である島根県は「竹島の日」条例を制定する。これに対し、韓国側ではやはり抗議行動が発生し、韓国外交通商部も「竹島の日」制定を非難する声明を発表する事態となった。 このような中、対馬海峡(朝鮮海峡)に面する市で、竹島問題には当事者性が無く関与権の無い自治体である慶尚南道馬山市の市議会が、同年2005年3月18日に制定したのがこの「対馬島の日」条例である。 なお、「対馬は韓国領」という主張は、この「対馬島の日条例」が制定されたことによって巻き起こったものではなく、それ以前の比較的早い段階から叫ばれてきた主張である。実際、独島博物館(1997年開館)の正面入り口に「対馬はもともと我々の領土」(対馬島本是我国之地)という碑石が設置されたのは2002年8月であり、それをさらに遡る2001年5月には「対馬島は我々の領土」という曲が発表されている。また、2004年7月に小泉首相が訪韓した際に開かれた集会(反日デモ)では、主催者らが「対馬を韓国に返還するよう日本に促す一方、韓半島への侵略の歴史を謝罪」するよう求めている。
※この「「対馬島の日」制定の背景」の解説は、「対馬島の日」の解説の一部です。
「「対馬島の日」制定の背景」を含む「対馬島の日」の記事については、「対馬島の日」の概要を参照ください。
- 「対馬島の日」制定の背景のページへのリンク