どう‐か〔‐クワ〕【銅×戈】
銅戈
主名称: | 銅戈 |
指定番号: | 414 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1986.06.06(昭和61.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 福岡県春日市小倉出土 |
員数: | 25口 |
時代区分: | 弥生 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 本遺品の一括は、昭和四十二年二月、用水溜池造成工事に際して発見されたもので、具体的な埋納状態や伴出遺物は詳らかではない。しかし、周辺の春日丘陵には、須玖岡本遺跡をはじめとする、弥生時代青銅器の出土遺跡が密集し、本遺品もこうした歴史的風土と関わりが深い。同じ春日市内では、原町における銅戈四八口(文化庁保管)の出土例もあり、本例も同様な一括埋納例と考えることができる。 銅鋳。扁平な両刃造りの銅戈で、身の中央に不明瞭な鎬をつくり、比較的幅広い樋の基部には細かな綾杉文を鋳出す。鋒は鋭角に作り出されるが、刃部の研ぎ出しは全く行われていない。茎の片面に対の弧文が鋳出されたもの八例、直線文を鋳出すもの二例の他に、円形文、綾杉状の細線文を鋳出すもの各一例がある。遺存状態は良好だが、いずれの箇体も刃部片面の銅質劣化が著しく、かつての埋納状態が推測される。 銅戈の形態は、いわゆる中広形銅戈に分類されるものがほとんどだが、一箇体のみ中細形銅戈に近いものが含まれている。各箇体の形状・法量は比較的斉一性が強く、特に同笵と思われるもの三組八箇体が含まれている。本遺品は北部九州における弥生時代青銅器の一括出土例として注目されるとともに、その製作技術、特に同笵関係が把握できることからも、学術的価値の極めて高いものである。 |
銅戈
主名称: | 銅戈 |
指定番号: | 34 |
枝番: | 05 |
指定年月日: | 1969.06.20(昭和44.06.20) |
国宝重文区分: | 国宝 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 兵庫県神戸市灘区桜ヶ丘町出土 |
員数: | 7口 |
時代区分: | 弥生 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | これらの一括遺物は昭和三十九年十二月神戸市灘区桜ケ岡町で土取り作業中に出土したものである。同一地点から銅鐸が数多く出土した例としては明治十八年八月滋賀県野洲から発見された十四口が最も著名であり、さらに近年その付近から十口出土しているのが注目される。それに次ぐものは昭和七年徳島市での七口の発見報告と、江戸時代に淡路の笥飯野から八口出土したことが江戸時代の記録にあるが、それらはいずれも散逸したものが多く、また一か所に保存されていないので、本遺跡出土のものはその意味においてもきわめて貴重な新例を加えたものである。しかも二口の袈裟襷文銅鐸に旧大橋家の銅鐸(国宝・伝香川県出土・現在国有)と同様の画象を鋳表わしていること、流水文銅鐸の一口は滋賀県新庄(大原総一郎氏蔵・重文)、鳥取県泊(東京国立博物館保管)の二か所から出土したものおよび辰馬悦蔵氏所有のもの(二口、うち一口は重文)と、一口は岸和田市神於【このの】(京都大学保管)、一口は鳥取県本庄(京都国立博物館)から出土したものといわゆる同笵であること、しかも銅戈七口を併せ出土していることなどは、この種青銅遺物の性格を知る上にもきわめて重要である。 |
銅戈
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