'45~'50s アドニスなど
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「ゲイ雑誌」の記事における「'45~'50s アドニスなど」の解説
戦後間もなく、「奇譚クラブ」(1947年-75年、曙出版)、「人間探究」(1950年5月-53年8月、第一出版)、「あまとりあ」(1951年-55年、あまとりあ社)、「風俗草紙」(1953年7月-54年、日本特集出版)、「風俗科学」(1953年8月-55年、第三文庫)、「裏窓」(1956年-65年、久保書店)などのSMやポルノ、性科学を扱った雑誌に男女ものの作品に混ざって、男性同性愛や男性写真、男色小説が時折り取り上げられていた。また『第一読物』、『オール小説』、『探訪読物』などの文芸誌などにも、男娼が出てくる作品が載ることがあった。 時を同じくして、作家の三島由紀夫らが所属した「アドニス会」という戦後のゲイシーンの黎明期を象徴する会員制同性愛サークルが発足しており、1952年(昭和27年)9月10日には、日本初の会員制のゲイ雑誌「アドニス」が創刊された。これは男性同性愛を扱った非合法の不定期刊行物(ミニコミ誌)で、1962年に63号で廃刊になるまで約10年続き、別冊として小説集「APOLLO(アポロ)」と、会員による手記集「MEMOIRE(メモワール)」も刊行されている。初代編集長は上月竜之介だった。彼は「人間探究」の編集にも携わっていて、同誌編集部には同性愛者の苦悩を訴える投書が届けられていたことから、それが彼にアドニスの発刊を決意させたとされる。因みにアドニス会創会の告知も人間探求誌上でなされている。2代目編集長が小説家中井英夫の恋人でもあった田中貞夫で、中井英夫の他、歌人・塚本邦雄や三島由紀夫らも変名で寄稿している。 1959年(昭和34年)10月頃には大阪で「同好趣味の会」が創会され、アドニスと同じ会員制の同性愛誌「同好」も創刊されている(創刊年月日は不明)。編集者は保守派の政治結社運動にも関わった毛利晴一で、最盛期には会員数が1,000人を数えた。1968年頃に誌名が同好から「清心」に改められている。
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