近鉄吉野線
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車両
南大阪線系統の各形式が使用されており、ワンマン運転を行う列車にはワンマン対応の6419系または6432系が使用されている。
歴史
吉野軽便鉄道(のちに吉野鉄道に改称)により、吉野山への行楽輸送のほか、沿線で産出される木材を輸送する目的で建設された。そのため、国有鉄道との貨車直通を考慮して軌間は1067mmを採用した。吉野山の花見シーズンには直接、客車も乗り入れ湊町駅(現在のJR難波駅)から吉野への臨時花見列車も運行された[注釈 2]。谷崎潤一郎の『吉野葛』には、軽便鉄道時代の吉野線の様子が記されている。
吉野口駅で今のJR和歌山線と線路がつながっていたが、後には市場のあった桜井市への木材円滑輸送を図るべく、桜井線畝傍駅まで路線を延伸した。その後、大正から昭和に入った頃に、近鉄の直系母体である大阪電気軌道(大軌)は自社の保有する畝傍線(現在の橿原線)の橿原神宮前から延伸して、吉野に至るまでの鉄道敷設免許を収得した。そして、大軌は免許線に並行する吉野鉄道を買収した方が得策と考え、また吉野鉄道も並行線を敷設されれば大きな脅威になると考えたことから、1929年に吉野鉄道は大軌に合併されることになった。
なお、大軌への統合直前に大阪 - 橿原間で大軌と並行路線を有する大阪鉄道(大鉄、現在の南大阪線などを建設)との直通運転が開始されているが、これは大軌の路線が1435mmの標準軌を採用しており直通が不可能であったため、軌間が吉野線と同じであった大鉄とそれを行わせるのが利用客の便を考えると良いとされたからだといわれている。
しかし、大軌では自社線や子会社の奈良電気鉄道からのルートでの吉野へのアクセスを改善すべく、畝傍線と吉野線が接続する(旧)橿原神宮駅から大阪鉄道との接続駅である久米寺駅の間を三線軌条化し、2回の乗り換えが1回で済むように久米寺駅までの電車乗り入れを行ったりもしている。久米寺駅では、吉野方面から来た電車の客を大軌に誘致すべく呼び込みも行われたという。
また、大阪鉄道は吉野線との直通運転開始から間もなくして大軌の傘下に入り、1943年には大軌から名称を変更した関西急行鉄道(関急)に合併された。その前の1939年には橿原神宮拡張工事のため、(旧)橿原神宮前駅と久米寺駅などの統合も行われている。これに伴い、当初から貨物輸送が主体で旅客に関しては大軌・大鉄ルートがメインとなっていた畝傍駅への路線は完全な盲腸線と化し、小房線(おうさせん[要出典])という独立線名を有するようになったものの、1945年には橿原線と並行することから旅客営業が廃止され、1952年に全廃された。
2018年5月15日、異なる軌間の路線間を直通運転できるフリーゲージトレインで、京都線の京都駅から橿原線を経て吉野線の吉野駅まで直通運転を行う構想が明らかにされた。2018年6月22日付けで開発推進担当の役員を置き、フリーゲージトレインの開発に着手する予定とされていた[2]。しかし、開発推進担当の役員は翌2019年6月に近鉄の取締役を退任し、後任への引き継ぎが行われた形跡もなく、2021年5月14日に発表された「近鉄グループ中期経営計画2024」にもフリーゲージトレインについて記載がなくなっている。2022年5月に開催された「鉄道技術展」にはフリーゲージトレインの展示があり、開発意向が明らかにされたものの[3]、依然として本路線に導入するかは不明瞭のままである。
年表
- 1910年(明治43年)9月5日:吉野軽便鉄道に対し鉄道免許状下付(吉野口-北六田間)[4]
- 1912年(大正元年)10月25日:吉野軽便鉄道が吉野口駅 - 吉野駅(現在の六田駅)間を開業[5]。
- 1913年(大正2年)5月31日:吉野鉄道に社名変更。
- 1920年(大正9年)5月14日:鉄道免許状下付(高市郡八木町-南葛木郡葛村間)[6]
- 1922年(大正11年)4月20日:鉄道免許状下付(吉野郡大淀町-同郡上市町間 動力電気)[7]。
- 1923年(大正12年)
- 1924年(大正13年)
- 1926年(大正15年)5月18日:鉄道起業目論見変更(吉野郡大淀町-同郡吉野村間)[9]
- 1927年(昭和2年)7月1日:越部駅開業。
- 1928年(昭和3年)
- 1929年(昭和4年)
- 1930年(昭和5年)7月10日:(旧)橿原神宮前駅 - 久米寺駅間を三線軌条化し、畝傍線の電車が乗り入れ開始。
- 1939年(昭和14年)
- 1940年(昭和15年)4月1日:久米寺駅を橿原神宮駅駅に統合。
- 1941年(昭和16年)6月:畝傍駅 - 橿原神宮駅駅(現在の橿原神宮前駅)間を小房線と改称。
- 1945年(昭和20年)6月1日:小房線の旅客営業休止。
- 1950年(昭和25年)7月1日:小房線が休止。
- 1952年(昭和27年)9月1日:小房線が廃止。
- 1965年(昭和40年)3月18日:大阪阿部野橋駅 - 吉野駅間に特急運転開始。
- 1968年(昭和43年)9月26日:自動列車停止装置 (ATS) 使用開始。
- 1970年(昭和45年)
- 1984年(昭和59年)2月1日:貨物営業廃止。
- 1989年(平成元年)5月18日:特急の停車駅に吉野口駅を追加。
- 1990年(平成2年)3月15日:26000系(さくらライナー)の営業運転開始[18]。吉野特急の30分間隔運転開始。特急の停車駅に飛鳥駅・壺阪山駅を追加。
- 1996年(平成8年)
- 1998年(平成10年)3月17日:飛鳥駅が単線ホームから2面2線の列車交換可能駅となり、岡寺駅での2列車対向待ちが解消される。
- 1999年(平成11年)3月16日:特急の停車駅に福神駅・六田駅を追加。大阪阿部野橋駅から吉野線内各駅への特急料金を距離に関わらず500円に値下げ。
- 2001年(平成13年)
- 2002年(平成14年)10月:6820系(シリーズ21)の営業運転開始。
- 2007年(平成19年)4月1日:各駅でPiTaPa・ICOCAの取り扱い開始。
- 2010年(平成22年)6月19日:16600系 (Ace) が営業運転開始[21]。
- 2011年(平成23年)10月1日:従来の薬水駅に加えて、市尾駅・葛駅・大阿太駅・越部駅の4駅が終日無人駅となる[22]。
- 2012年(平成24年)12月21日:岡寺駅が終日無人駅となる。これにより、線内の特急通過駅は全て無人駅となる。
- 2016年(平成28年)9月10日:吉野特急で16200系による観光特急「青の交響曲」が運転を開始[23]。
- 2021年(令和3年)1月6日:特急停車駅である飛鳥駅・福神駅・大和上市駅・吉野神宮駅の4駅を無人駅とする[24]。
- 2022年(令和4年)4月23日:吉野口駅 - 吉野駅間でも一部普通列車のワンマン運転を開始し、ワンマン運転区間を吉野線全線に拡大[25]。
駅一覧
- 全駅奈良県内に所在。
- ●:全列車停車、|:全列車通過
- 急行・準急・普通はすべての列車が各駅に停車(表中省略)。
- 快速急行は春の行楽期に桜の開花に合わせて、臨時列車として運転。
- 特急は「近鉄特急」を参照。
- 線路(全線単線) … ◇・∨・∧:列車交換可能、|:列車交換不可
駅番号 | 駅名 | 駅間 キロ |
営業 キロ |
快速急行 | 接続路線 | 線路 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
F42 | 橿原神宮前駅 | - | 0.0 | ● | 近畿日本鉄道:F 南大阪線(大阪阿部野橋まで直通運転)・B 橿原線 (B42) | ∨ | 橿原市 | |
F43 | 岡寺駅 | 1.1 | 1.1 | | | ◇ | |||
F44 | 飛鳥駅 | 1.1 | 2.2 | ● | ◇ | 高市郡 | 明日香村 | |
F45 | 壺阪山駅 | 1.7 | 3.9 | ● | ◇ | 高取町 | ||
F46 | 市尾駅 | 2.1 | 6.0 | | | ◇ | |||
F47 | 葛駅 | 1.9 | 7.9 | | | | | 御所市 | ||
F48 | 吉野口駅 | 1.6 | 9.5 | ● | 西日本旅客鉄道:T 和歌山線 | ◇ | ||
F49 | 薬水駅 | 1.7 | 11.2 | | | | | 吉野郡 | 大淀町 | |
F50 | 福神駅 | 1.6 | 12.8 | ● | ◇ | |||
F51 | 大阿太駅 | 1.8 | 14.6 | | | ◇ | |||
F52 | 下市口駅 | 2.4 | 17.0 | ● | ◇ | |||
F53 | 越部駅 | 1.7 | 18.7 | | | ◇ | |||
F54 | 六田駅 | 2.0 | 20.7 | ● | ◇ | |||
F55 | 大和上市駅 | 2.2 | 22.9 | ● | | | 吉野町 | ||
F56 | 吉野神宮駅 | 0.8 | 23.7 | ● | ◇ | |||
F57 | 吉野駅 | 1.5 | 25.2 | ● | 吉野大峯ケーブル自動車:吉野ロープウェイ…千本口駅 | ∧ |
- 葛駅・薬水駅・大和上市駅は列車交換ができない単線ホームとなっているが、大和上市駅は近鉄全線で唯一「単線ホームの特急停車駅」となっている。なお、1990年(平成2年)3月15日に特急が停車するようになった飛鳥駅も列車交換ができない駅だったが、1998年(平成10年)3月17日のダイヤ変更より交換可能駅となった。
- 飛鳥駅は、近鉄はもとより、全国の大手私鉄で唯一「村」にある駅(かつ特急停車駅)である[26]。
廃止区間
- 1939年以後(1941年より小房線)
- 畝傍駅 - 小房駅 - 畝傍御陵前駅 - 橿原神宮前駅
- 畝傍御陵前駅 - 橿原神宮前駅間は橿原線と並列。
注釈
出典
- ^ a b 寺田裕一『改訂新版 データブック日本の私鉄』 - ネコ・パブリッシング
- ^ フリーゲージトレイン開発推進に向けて (PDF) - 近畿日本鉄道、2018年5月15日
- ^ “フリーゲージトレインの開発継続判明、新技術が続々「鉄道技術展」”. 日経XTECH (2022年5月27日). 2022年6月7日閲覧。
- ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1910年9月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1912年11月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道免許状下付」『官報』1920年5月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道免許状下付」『官報』1922年4月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道免許状下付」『官報』1923年2月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 「鉄道起業目論見変更並起業廃止」『官報』1926年5月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年12月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道駅設置」『官報』1924年2月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軌道特許状下付」『官報』1921年7月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軌道敷設権移転」『官報』1924年7月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道駅設置」『官報』1924年5月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1924年11月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1928年3月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『地方鉄道及軌道一覧 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ “「さくらライナー」あすからデビュー”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1990年3月14日)
- ^ “南大阪、吉野線に新型特急「ACE」 近鉄、来月1日デビュー”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1996年5月20日)
- ^ 『鉄道ジャーナル』第30巻第12号、鉄道ジャーナル社、1996年12月、87頁。
- ^ 近鉄16600系が営業運転を開始 - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2010年6月20日
- ^ 奈良、増える無人駅 JRでは半数の15に - 朝日新聞デジタル 2012年4月18日
- ^ 近鉄 16200系「青の交響曲(シンフォニー)」の営業運転開始 - 『鉄道ファン』 交友社 railf.jp鉄道ニュース 2016年9月11日
- ^ “近鉄吉野線の4駅無人化 来月6日から、他駅の係員が巡回 /奈良”. デジタル毎日 (毎日新聞社). (2020年12月22日) 2020年12月22日閲覧。
- ^ 2022年4月23日(土)ダイヤ変更について (PDF) - 近畿日本鉄道プレスリリース 2022年2月24日
- ^ 平成の大合併以前は、大阪線の室生口大野駅・三本松駅(奈良県宇陀郡室生村、2005年12月31日まで)、山田線の宮町駅(三重県度会郡御薗村、2005年10月31日まで)も村にある駅であった。
- ^ 駅別乗降人員 南大阪線 吉野線 - 近畿日本鉄道
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