美濃部亮吉 年表

美濃部亮吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/24 09:50 UTC 版)

年表

東京教育大学の研究室にて(1967年)

家族

信濃毎日新聞社社長・衆議院議員貴族院議員を務めた小坂順造の長女・百合子(自由民主党衆議院議員小坂善太郎・自由民主党衆議院議員小坂徳三郎の姉)と結婚し、長男・次男・三男をもうけたが、都知事就任前に離婚、子供3人は小坂家に引き取られた。都知事就任時には既に再婚しており、後妻との間に長女をもうけている。1984年(昭和59年)12月の死去に際しては後妻が喪主を務めている。

長男は自由民主党衆議院議員(後に参議院議員)小坂憲次(善太郎の子)の秘書を務めた。また次男は僧侶となってオーストラリアに渡り、三男は信越化学工業に勤務した。いずれも小坂姓を名乗っている。


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