美濃路大垣宿本陣跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/16 23:23 UTC 版)
美濃路大垣宿本陣跡 | |
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情報 | |
所在地 | 岐阜県大垣市竹島町39 |
文化財 |
大垣市史跡:昭和33年(1958年)5月17日指定 (平成24年(2012年)8月22日名称変更) |
美濃路大垣宿本陣跡(みのじおおがきじゅくほんじんあと)は岐阜県大垣市竹島町にある美濃路大垣宿の本陣。
大垣宿本陣跡附明治天皇行在所跡として、大垣市の史跡に指定されている[1]。
概要
大垣宿の本陣は元禄5年(1692年)に火災で焼失。その後再建され、嘉永3年(1850年)に飯沼家により大規模な改修が行われた[2]。1878年(明治11年)に明治天皇が東海北陸御巡幸の際に行在所となっている。
建物は何度かの改築、増築、老朽化部分などの撤去が行われ、竹島会館として地域の集会所として使用された。2012年(平成24年)10月から大垣市により改修が行われ、嘉永3年の改修当時の間取りを生かしつつ昭和期の増築個所の撤去が行われ、2013年(平成25年)3月30日から公開された[3]。
改修により、明治天皇の宿泊した部屋(上段の間)が復元され、他の部屋は展示室、休憩所などとなっている。展示室には本陣の模型、大垣祭の山車の榊軕(竹島町が担当)に関する資料などが展示されている[2][4]。現在は大垣市の文化施設の一つとなっている。
大垣宿は朝鮮通信使の宿泊地となっており、大垣宿跡には世界の記憶(世界記憶遺産)「朝鮮通信使に関する記録:17世紀から19世紀までの日本と朝鮮の平和構築と文化交流の歴史」として登録されたのを記念する碑が設置されている。また、展示室には榊軕が明治初期まで朝鮮通信使を模した練り物(朝鮮山車)であったころの資料も展示されている[5][6]。
利用案内
交通アクセス
公共交通機関
周辺施設
脚注
- ^ “指定文化財一覧表” (PDF). 大垣市. 2023年8月17日閲覧。
- ^ a b “美濃路大垣宿本陣跡” (PDF). 大垣市役所観光課. 2023年8月17日閲覧。
- ^ “広報おおがき№1730(平成25年3月15日)” (PDF). 大垣市. 2023年8月17日閲覧。
- ^ a b c d e “ぷらっと西美濃通行手形(令和4年)” (PDF). 大垣観光協会. 2023年8月17日閲覧。
- ^ a b c “朝鮮通信使と大垣(表)” (PDF). 大垣観光協会. 2023年8月17日閲覧。
- ^ “朝鮮通信使と大垣(裏)” (PDF). 大垣観光協会. 2023年8月17日閲覧。
外部リンク
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