手宮線 手宮線の概要

手宮線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/15 02:36 UTC 版)

手宮線
小樽市内に保存されている手宮線の線路
(2005年7月)
概要
現況 廃止
起終点 起点:南小樽駅
終点:手宮駅
駅数 2駅(廃止時)
運営
開業 1880年11月28日 (1880-11-28)
旅客営業廃止 1962年5月14日
廃止 1985年11月5日 (1985-11-5)
所有者 官営幌内鉄道北海道炭礦鉄道鉄道作業局→帝国鉄道庁鉄道院→鉄道省運輸通信省運輸省日本国有鉄道(国鉄)
路線諸元
路線総延長 2.8 km (1.7 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 全線非電化
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
函館本線
0.0 南小樽駅
1.1 色内仮乗降場 -1962
小樽駅
函館本線
2.8
0.0*
手宮駅
0.7* 桟橋駅 -1901

旧手宮鉄道施設(現・小樽市総合博物館本館)は国指定の重要文化財[1]線路は保存されて日本遺産「炭鉄港」の一部となっているほか、散策イベントや観光にも利用されている[新聞 2]後述)。

路線データ(廃止時)

歴史

北海道では最初の鉄道[注釈 1]である官営幌内鉄道(手宮駅 - 札幌駅 - 幌内駅)の一部として1880年(明治13年)11月28日に開通した。官営幌内鉄道は1889年(明治22年)12月11日北海道炭礦鉄道に譲渡された後、鉄道国有法によって1906年(明治39年)10月1日に買収、国有化された。

1958年(昭和33年)に旅客列車の気動車化を実施し、1959年(昭和34年)9月22日ダイヤ改正時点では9往復が運行されていた。利用客減少のため、1961年(昭和36年)10月1日のダイヤ改正(サンロクトオ)で旅客列車は蒸気機関車牽引の客車列車2往復のみとなり、翌1962年(昭和37年)5月14日を最後に旅客営業が廃止された[新聞 3]

その後も貨物輸送は続けられたが、輸送量の減少により1985年(昭和60年)8月下旬から貨物列車の運行がなくなり、同年11月3日・4日にさよなら運転として臨時列車「さよなら手宮線手宮号」が運行され、翌日付で廃止された[新聞 1]

その後、廃線後ではあるが線路が函館本線とつながったままであることを活かし、手宮駅跡に開館した当時の北海道鉄道記念館(現在の小樽市総合博物館)に静態保存されていた蒸気機関車C62 3を復活のため引き出した時に、配給列車として列車が運転された実績がある。

路線の跡地は散策路として整備されている[1]後節参照)。

駅一覧

  • 全駅北海道後志支庁)内に所在
  • 事業者名、自治体名は廃止当時のもの。
  • 仮乗降場には営業キロが設定されていなかった。括弧内に実キロを記す。

南小樽駅 - 手宮駅間

駅名 駅間
営業
キロ
累計
営業
キロ
接続路線・備考 所在地
南小樽駅 - 0.0 日本国有鉄道函館本線 小樽市
色内仮乗降場 - (1.1) 1962年(昭和37年)5月15日廃止
手宮駅 2.8 2.8 北海道炭礦鉄道:北海道炭礦鉄道(貨物線)※桟橋方面

手宮駅 - 桟橋駅間

駅名 駅間
営業
キロ
累計
営業
キロ
接続路線 所在地
手宮駅 - 0.0 北海道炭礦鉄道:北海道炭礦鉄道 ※南小樽方面 小樽区
(貨)桟橋駅 0.7 0.7  

注釈

  1. ^ 北海道では当路線より先に、1869年明治2年)に泊村茅沼炭山より海岸まで軌道(茅沼炭鉱軌道)が敷設されているが、牛力での貨車牽引だったため「鉄道」とはみなさないとされるのが一般的である。
  2. ^ 『新日本鉄道史』下巻(1973年再版)の2頁によれば、銭函 - 手宮間で試運転となっている[2]が、『北海道鉄道百年史』上巻などでは10月24日は熊碓村第4隧道(現・朝里駅より小樽駅側) - 手宮桟橋間での試運転、11月11日銭函 - 手宮間仮運転と記述。
  3. ^ 色内を中心とする1904年(明治37年)の小樽市内大火災前後に北海道炭礦鉄道が手宮-色内間の移転用地を買収していたことが、資料の図中予定線内に列記された「炭礦」の記述から読み取れる[4]。1904年(明治37年)同年3月より工事着手、6月竣工、7月1日より使用開始[5][6]
  4. ^ 民営化後の1996年には宮崎空港線 (1.4 km) が開業してJR各社中で最短路線の記録を更新。

出典

  1. ^ a b c 歴史探訪MAP OTARU CITY”. 2021年9月17日閲覧。
  2. ^ 『新日本鉄道史』下巻(1973年再版) 2頁
  3. ^ 国立公文書館デジタルアーカイブ 明治13年11月2日付開拓使上申書「後志国手宮波戸場落成并同所ヨリ熊碓村間ノ鉄道汽車運転ヲ試ム」
  4. ^ 1904年(明治37年)発行 小樽区明治三十七年五月八日大火災地同市区改正地域明細図 北海道立図書館 北方資料デジタル・ライブラリー
  5. ^ 「北海道炭礦鐵道 第三十回営業報告(明治37年上半期)」 227頁
  6. ^ 「北海道炭礦鐵道 第三十一回報告(明治37年下半期)」 270頁
  7. ^ 『北海道鉄道百年史』下巻 59頁
  8. ^ 往時の列車しのんで 安心して訪ねられる廃線路10選”. 『日本経済新聞』NIKKEIプラス1及び電子版 (2016年7月1日). 2016年7月6日閲覧。
  9. ^ 第23回 小樽市都市景観賞受賞作品”. 小樽市 (2021年3月5日). 2023年8月2日閲覧。

新聞記事

  1. ^ a b c “気笛一声〝明治〟去る 国鉄手宮線でさよなら列車”. 北海道新聞. フォト北海道(道新写真データベース) (北海道新聞社). (1985年11月4日). オリジナルの2016年10月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161028120022/http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090359516 2016年10月28日閲覧。 
  2. ^ 「手宮線跡を歩かナイト」『読売新聞』朝刊2021年9月22日(札幌圏・後志・空知版)
  3. ^ a b “14日で国鉄手宮線の旅客扱い廃止”. 北海道新聞. フォト北海道(道新写真データベース) (北海道新聞社). (1962年5月15日). オリジナルの2016年10月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161028131140/http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090359505 2016年10月28日閲覧。 
  4. ^ a b 中野訓 (2016年10月20日). “旧手宮線散策路が完成へ 新観光ルート期待 小樽” (日本語). 北海道新聞. どうしんウェブ/電子版(道央) (北海道新聞社). オリジナルの2016年10月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161028113716/http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/doo/1-0328672.html 2016年10月28日閲覧。 
  5. ^ 渡辺佐保子「まちづくりの会(朝里)、旧手宮線散策路整備 都市景観賞の2件表彰」『北海道新聞北海道新聞社、2019年12月27日、樽B朝刊、15面。


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