桟橋駅廃止後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 14:17 UTC 版)
1906年(明治39年)10月1日:北海道炭礦鉄道の鉄道路線が国有化され、国有鉄道に移管。 1909年(明治42年)10月12日:国有鉄道線路名称設定により、小樽駅(初代、現在の南小樽駅) - 手宮駅間が手宮線となる。 1911年(明治44年)12月:木造の高架桟橋(長さ391.9m、満潮海面からの高さ18.6m)が竣工し、手宮桟橋を廃止(正確な廃止日は不明)。 1912年(明治45年)6月:高架桟橋の使用開始に伴い、手宮 - 高架桟橋間の貨物線が再開。 1944年(昭和19年)9月:戦時中の攻撃目標となることを避けるために高架桟橋の上部を解体・撤去。 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、手宮線が日本国有鉄道(国鉄)に継承。 1961年(昭和36年):高架桟橋の基部を解体・撤去。
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